谷川俊太郎さんが答える「ふつうの言葉」と「詩の言葉」の違い
先日、うちの奥さんが『谷川俊太郎質問箱』という本を買ってきたので、僕も横からパラパラと読ませてもらいました。まだ、全部読んでませんが。
- 作者: 谷川俊太郎,江田ななえ
- 出版社/メーカー: 東京糸井重里事務所
- 発売日: 2007/08/08
- メディア: 単行本
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で、この本の中で、僕が惹かれたというか「なるほど」と思えた回答があったのですが、これが「ほぼ日」のサイト内にはアップされていないようなんですね。それで、ここでちょっと引用してみようかと。
質問 十五 ふつうの言葉と、詩の言葉の
違いは何ですか?(みく 三十四歳)
谷川さんの答 ふつうの言葉だと、
たとえば「あなたを愛しています」と言うと、
あるいは書くと、
それは嘘か本当か、
それとも嘘と本当が混じっているのかが
問題になります。
詩の言葉だと、そういうことは問題になりません。
「あなたを愛しています」という言葉が、
その詩の前後の文脈の中でどれだけ読者を、聴衆を
動かす力をもっているかが問題になります。
言い換えると
ふつうの言葉には、その言葉に責任を負う主体がいますが、
詩の言葉の主体である詩人は
真偽については責任がなく、
言葉の美醜、または巧拙について
責任があるのです。
(『谷川俊太郎質問箱』p.40-41より)
な、なるほど。たしかに。
そこで僕は、ブログというものはここで言う「ふつうの言葉」と「詩の言葉」のどちらになるんだろう?って考えたんです。
たいていの場合は「ふつうの言葉」でいいと思うんですよ。ただ、僕自身が読者の立場に立つ時は、「詩の言葉」として読んでいるときが結構あるんですね。つまり、内容そのものよりも、それがいかに書かれているかに興味があったりするわけです。それは「文体」と一口にくくれるものでもないんですが、好んで読むブログの多くは「いかに書かれているか」を軸に選んでいます。*1
しかし、「書き手」としての僕はどうか、と問えば、ちょっと曖昧です。もちろん「詩」としては書いているつもりはありませんが、文章の中に意図的に「嘘」を紛れ込ませることを、わりとやっているからです。そうであっても、書かれた言葉の責任は僕にあることは変わりません。でも、伝わりやすさとか面白さとか、あるいは逆に、特定の人だけが解ってくれればいいやという意味での伝わりにくさやつまらなさといったものを優先させようとすれば、そこには必然的に嘘が入り込みます。(これは、前回の記事にも関係しますが、またちょっと違う問題でもあります。)
ま、それが成功しているかどうかは別問題ですけどね。
何が言いたいかというと、引用した文章で谷川氏は、一見するとくっきりと解りやすい回答を示していらっしゃいますが、実際には「ふつうの言葉」と「詩の言葉」の境い目は、もっと曖昧だと思うんですよね。その曖昧さの部分に面白さを感じるものも多いですし。もちろんそんなことは谷川氏は百も承知で、それでもなおこのように回答されたんだと思います。その辺は、谷川氏の詩人としての矜持というかプライドが感じられて、そこもひっくるめて面白かったです。
他にも面白い回答はたくさんありますが*2、興味をもたれたら、ぜひ実物の本を読んでみてください。*3