読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

僕が「結婚は紙切れ1枚のもの」と言うのは、僕がヘテロセクシャルで、しかも男性だからです。だって、そうなんだもの、しょうがないじゃない。

『みやきち日記 - 「家族」が自分で選べない不合理』wHite_caKe - なぜひとは結婚したがるのか?、を読んで。
僕は『結婚は、つまるところ「紙切れ1枚」のこと。ただし、紙切れ1枚の「価値」をどう思うかはあなた次第。』という記事を書いていたのですが、上の二つの記事を読んで、その「紙切れ1枚の価値」が、時にどれほど重くなるのか、ということを改めて感じました。
「紙切れ1枚」というものの意味は、要するに、「二人の関係を社会的に認知させる」ということです。
結婚する前の僕は、「社会的に認知させる」ことを軽く見ているところがあって、それはまぁ、今でもちょっとそう思ってる部分がありますが、でも、そんなことが言えるのは、僕がタイトルに書いたような人間だからなんです。
そう、ヘテロセクシャルで、男。


ヘテロの男女であれば、入籍していなくても、かなりの部分で結婚しているのとあまり変わらない扱いを受けることができます。住民票にも、届け出れば「内縁の妻(夫)」とか「未届けの妻(夫)」と書いてもらえます。生活保護も、正式な夫婦と全く同じ扱いで受けれます。
違うのは、子どもが生まれた時に、戸籍に「長男」とか「二女」ではなく、「男」「女」と書かれること、遺産相続の権利を主張できないこと、等々。
そこら辺のことは、当事者同士がきちんと納得していれば、別にそれでいいとは思います。でも、そのことを軽く考えられるとしたら、実際問題、それは僕が「男」だからなんでしょう。僕が「ヘテロの男」の意見を代表しているとはこれっぽっちも思いませんが、少なくとも、そういう自分の属性を踏まえた上で、僕自身の考えが出来上がっているのは否定できません。
「紙切れ1枚」という発想の裏には、そういう僕の「ヘテロの男」ゆえの思いやりの無さや、傲慢さがあるような気がします。僕個人にとっては紙切れ1枚のものでも、社会的に認知されることの意味が、パートナーや子どもにとってはどういうものかと言えば、簡単に「紙切れ」とは言えないものだろうな、と。
ましてや、非ヘテロの人から見れば、「紙切れ1枚なんてふざけたこと言ってんじゃねーよ」って感じかもしれません。
ただ、だからと言って、そうしたことによって考えを変えるかといったら、そんなことはなくて、僕はここまでに書いてきたことを全て承知の上で「結婚は紙切れ1枚のもの」だと言い続けるでしょう。それはもう、しょうがない。
しかし、それは開き直ってそう言うのではなくて、自分は「ヘテロの男」以外のものにはなれない、という後ろめたさを抱えながらのことである、ということは付け加えておきます。これが言いたかった。後ろめたさに向き合えよ、自分。ヘテロの男であることは、後ろめたいことなんだよ。


あと、ヘテロであろうが非ヘテロであろうが、自分にとって憎しみの対象である者が、自分の一番身近な家族であるという理不尽は、往々にしてあるものです。
それだけに、非ヘテロの人が、パートナーを配偶者にするという選択肢を制限されている現状は、改善されるべきだと思うし、改善しようとする動きについては、僕はそれを支持します。