A子とN男

「ねぇ、N男、ちょっと来てこれ読んでみて」
パソコンのディスプレイに向かっていたA子が、突然僕を呼びつけた。普段はパソコンに向かっているときは、こっちが呼んでも振り向きもしないくせに。
「なんだよ。こっちは晩飯の準備で忙しいんだけど」
「いいから、読んで」
…ったく。僕は軽くため息をつきながら、ディスプレイを覗きこむ。
「なになに、『皮膚は柔らかい』?*1 変なタイトルだな。『突然気づいてしまったんだけど、どう考えても人類ってのは食用に適している…』おいA子、頭がおかしい奴の戯言を僕に読ませてどうするんだよ」
「いいから黙って最後まで読みなさい」
「…はいはい。えーと、……はぁ、そういうことか、……ふんふん、……あらら、……うへえ。こういうオチかよぉ」
「どう思った?」
「いや、まあ面白かったけどさ。ブログの創作ものとしては相当なもんだと思うよ。……ん? なんかリンクがあるな。……ははぁ、そういうことね。『食人賞』*2ねえ。うわ、他にも結構書いてる人が居るんだねぇ*3。面白いことは確かに面白いけど、ちょっと悪趣味すぎない?」
「そんなつまらないことはどうでもいから、他に思ったことはないの?」
今日のA子はやけにこだわるな。僕は少し不思議に思いながらも、改めてディスプレイを見直した。
「そうだねぇ。食人って言ったら、ちょっと前の舞城王太郎の小説*4にちょっとそんな話が出て来たような気がするな。内容はあんまり覚えてないけど。あと、前線の兵士が食べるものがなくなっちゃって仲間の死体を食べたってのは、何だっけ? あぁ、ここにも名前が挙がってる作品か。あと、レクター博士のシリーズもそうか」
「そうじゃなくて。このお話自体がどうかってことよ」
「えー。そんなこと言われてもな。あ、地球は異星人の牧場で、人類はその異星人の飼ってる家畜だって話がなかったっけ? そういうSF小説があったような気が……。うーん、思い出せないな。あぁ、そう言えば、“食人”って行為がその文字通りの意味じゃなくて、なんかのメタファーだとしたら……、ちょっと性的なイメージもないことはないか」
「ふんふん、それで?」
A子が身を乗り出すようにして僕の顔を覗き込んでくる。香水の匂いが漂ってきて、僕の鼻腔を刺激する。A子は少し唇をなめるような仕草をして、ウフンという擬音をあてたいような笑みを漏らした。そういえば、さっきからだんだん声の調子が湿り気を帯びてきているようだ。
あぁ、そういうことですか。そっちがその気ならこっちも乗ってやろうじゃないか。ただ、このパソコンが置いてあるのはリビングの一角で、そこに敷いてあるカーペットはクリーニングしたばかりなので、汚れるのがちょっとだけ嫌だな、と僕は思った。
「そうだねぇ。相手を食べちゃうってのは、ある意味で究極の愛情表現とも言えるわけで、そういう意味では、この話の前半の男は次から次へと女を乗り換えるプレイボーイで、モテ自慢をしてるっていう風にも読めるよね。で、後半の展開は女が主導権を握ってやり返すっていうか、あぁ、この男は本当には人を食べてないのかな。だとすると、口ばっかりの男を、女王様がお仕置きして調教していくSMっぽい話にも思えてくるな。縦に割れるってのも、勘ぐればエロティックな表現に思えないこともない……」
そう話す僕の傍らで、A子がだんだん身をよじらせるようにしている。ついには僕の肩にしなだれかかって、切なそうな吐息を漏らしはじめた。僕は、いつものパターンかな、などと考えながら、思いつくままにデタラメなことを口にし続けた。もちろん性的なイメージに結びつくような言葉を露骨に織り交ぜながら。
「……まぁ、ある種の人にとっては欲望を喚起させられるかもしれないね」
「ねぇ、私もう我慢できないの」
とA子が言う。
「おやおや、ここにも欲望を喚起されちゃった人が居るみたいだね」
「そうよ。そう言うあなたはどうなの」
「そりゃ、僕だって。しっかりかきたてられてるよ、性欲を」
僕ら二人は、抱き合うというより絡み合うという表現が似合う体勢でカーペットの上に転がった。服の上からお互いの体をまさぐり合っていたその刹那、
「実は私ね、性欲だけじゃなくて、食欲もものすごくかきたてられてるの」
と言うが早いが、A子が口を大きく開けた。それは普通の人間ではありえないくらいの大きな角度で開き、その口の中の舌があるべき場所にはネズミの頭ほどの大きさのもう一つの口があり、そいつが僕の首の喉仏の下あたりに喰らいついてきた。よける間もなくそいつは僕の肉を貪り始める。抵抗しようにもA子の腕(だったもの)が、僕を押さえつけて、離さない。
「ごめんね、N男。」
そう呟くA子の声がだんだん遠ざかっていくようだ。









「いや、謝るのはこっちの方さ。A子」
そう言った僕の声に、A子は驚愕の表情を浮かべた。正確にはA子の皮を半分くらい脱ぎかけていたので、顔の表情はよくわからなかったが、仕草で僕はそう判断した。そりゃそうだろう、何しろ、文字通り首の皮一枚でつながっただけの頭部をぶらぶらさせた人間が、いきなり喋りだしたのだ。びっくりして当然。
「あのさ、A子が異星人だってことは、ずっと前から知ってたんだ。だいたいA子の種族は目立ちたがりすぎなんだよ。ギーガーのモデルまでやってるもんね。あれはやりすぎだよ。僕に隠れて人間を食べてたのも知ってる。でも、月に1体は多すぎるね。僕の種族みたいに年に1体ぐらいにするべきだよ」
そう話しながら僕はシャツのボタンを外す。そこに僕のもう一つの、というか本当の顔が現れる。
「残念だよ。僕らはもっと長いこと上手くやっていけると思ってたんだけどな。でも、お互いこうして正体を知られちゃ、もうどうしようもないもんね。2人とも絶滅危惧種の地球人類保護区の密猟者なんだから。あぁ、逃げようとしても無駄だよ。さっきこの部屋の周りにシールドを張っておいたから、無理に出ようとしたって焼け焦げになるだけ。まぁ、肉を焼く手間が省けるから、僕はどっちでもいいけど」
個体の戦闘能力からすると、A子と僕とでは圧倒的な差がある。いたぶるのは趣味ではないので、さっさと片付けて晩飯の支度をしなくちゃ。おかずが予想外に増えたけれど、まぁ、いいだろう。たまには、人間以外の異種族を食べてみるのも悪くない。そうそう、あとでカーペットはまたクリーニングしなきゃいけないな。
そんなことを考えながら僕は言った。
「惜しいのは、“食人”というテーマなのに、これじゃ『人食い』じゃなくて『異星人食い』になっちゃうってところだね」