お説教

「お説教」と言っても、「年長者や目上の人からお小言をいただくこと」でも、エアロスミスの曲名*1でもありません。
「説経」とも書きますが、要するに、お坊さんがお経や仏教の教えについて分かりやすく説明してくれるという、ありがたい行事ですね。
数日前に、ちょっと縁があって、あるお寺でお説教を聴いたんですよ。僕は、別にそのお寺の檀家でもなんでもなくて、ほとんど興味本位で聴きに行ったんですが、とくに堅苦しいことを言われることもなく、はじっこの方で聴くことが出来ました。(普通は歓迎されないと思いますが。)


宗派によってスタイルは違うかもしれませんが、僕が行った浄土系のお寺では、本堂で檀家さんたちが車座になって座って、中心で「説教師」と呼ばれるお坊さんが話をするんですね。
で、この話が面白い。「説教師」と言うだけあって、話術が巧みで引き込まれてしまう。聞きながら「なんだか講談を聴いているみたいだなぁ」とか思ってたら、その説教師の人が「講談や落語、歌謡曲などの芸能は元を辿れば、『お説教』にたどり着く」みたいなことをおっしゃってました。
これはどうも本当らしくて、ちょっとググってみたら、いろいろ説明があります。講談との関係についてはhttp://www.konan-wu.ac.jp/~kikuchi/kodan/shomin.htmにわりと詳しく書いてあります。(論文の一部を転載したものらしく、少し読みづらいかもしれませんが。)それから、落語との関係についてはhttp://www.jiin.or.jp/turezure1/rakugo.htmが分かりやすそうです。


それで、肝心の内容はどうだったかというと、まぁ、文字通り「説教臭い」ところもあるんですが、不思議と反発は覚えないのは、自分がおっさん臭くなってきたせいも多少あるかな(苦笑)。
明治初期の廃仏毀釈運動に関する話もあって、その辺は歴史の話だと思って興味深く聞いてました。「廃仏毀釈」というのはWikipediaにも少し説明がありますが、明治元年神仏分離令や明治3年の大教宣布などがきっかけとなっています。これは、それまでの神仏習合の考え方を否定し、神道と仏教を明確に分け、かつ神道を日本国の国教とする、ということで、仏教そのものを否定したり破壊したりする意図は、もともとは無かったはずなのですが、結果的に仏教弾圧が起こってしまったということです。
この「最初の意図とは違った方向へ事態が暴走する」ということは、歴史上にもしばしば見られることだし、日常生活でも、程度の差こそあれ、案外起こりうることのような気がします。
だからなんだ、という話なんですが、そういうことをとりとめもなく考えてました。
他にも、いろいろと頭の中でぐるぐるしていることはあるんですが、それはいずれ書くかもしれません。(と言っておいて、書いてないネタは数多くありますが…。)


しかし、「お説教」というのは、やはり宗教行事ですので、落ちというか締めはみんなで手を合わせて念仏を唱えるというもの。不謹慎かもしれませんが、なんだか感心しちゃいました。

*1:言わずと知れた大名曲『WALK THIS WAY』の日本語タイトルのことですね。他にも『SWEET EMOTION』が『やりたい気持ち』だったり、エアロ初期の曲名の邦題には、素敵なものがたくさん。