23mmの宗教観について

いい機会なので(?)、僕自身の宗教観について書いておこうかと思い立ちました。
まず、僕は特定の宗教を持ちません。無宗教というよりは無神論者に近いかな、と思います。とはいえ、多くの日本人と同じく僕も、正月には神社に初詣に行くし、クリスマスにはケーキを食べてプレゼント交換するし、子どものお宮参りにも行ったし、その他もろもろの縁起担ぎもしますし、自分の葬式はどうなるか分かりませんが、たぶん、お坊さんを呼んでお経をあげてもらうことになるんだろう、と思っています。でも、根本的には、神様は居ない、とも考えているんですよね。まぁ、そういうヘタレな無神論者です。
ただ、ここに挙げた「宗教行事」は、日本人にとってあまりにも自然に生活の中に溶け込んでいるので、それらに参加するのにほとんど抵抗がないし、普段は矛盾を意識することもないです。
ただ、はっきり言えることは、僕は宗教を信仰の対象としてはどうしても捉えられない、ということです。
ところが、僕は同時に、宗教に強く惹かれてもいます。ひろさちや氏の分かりやすい本なんかを読んでいると、どんな宗教であれ、共感を覚える部分はあるんだな、と感じます。でも、それはやっぱり興味の、好奇心の対象でしかないんです。
僕は、自分が無神論者である、と規定していますが、だからと言って宗教を否定する気は全然ありません。宗教というものの表層をなぞっただけでも、その奥深さに打ち震えることさえあります。そして、宗教が持つ底の知れなさというか、僕のような人間の理解を超えた世界に対しては、「畏敬」としか言えない想いにとらわれたりします。それでも、そんなときにさえ「面白い」という言葉を発してしまうあたり、やはり信仰する気はないんだな、と自己を再確認しちゃったりもしますけどね。
個人的には仏教にいちばん共感を覚えますが、底の見えなさという点では、神道キリスト教イスラム教も同等だと思ってます。


ところで、ここの日記(に限らずいろんなところで)で僕は、時々胡散臭いことを書いてますが、それは特定の宗教に影響を受けたからと言うより、僕の生い立ちとか成長過程なんかの問題のような気がします。
あと、ついでのように書いておきますが、僕が何より大事に思っているのは「科学的な思考」なんでしょうね、たぶん。それは、ひょっとして信仰に近いかもしれない。けれど、ここで言う「科学的な思考」の「科学」は、いわゆる「科学教」の「科学」とは違うものです。