うだうだと筋道もなく、漠然と考えていることを書く。関係ない話も書く。

更新が滞るのは、「ネタがない・忙しい」というだけじゃなく、精神的余裕がないせいもある。なんで余裕がないのかは仕事に関係することで、自覚はあるけれど具体的には書けない。なるべく一般論に近づけるなら、クライアントとの関係、ということになるかな。もう少し踏み込むと、仕事と割り切れることと割り切れないことがあって、割り切った方がいいということは頭では分かってはいても、心情的に割り切ることができないことと言うものがある。そういう時は、心情は無視して、割り切っているかのように振る舞うのがいい。振る舞っているうちに、心情が追いついてくる。割り切れなくてもやりすごすことはできる、たぶん。



で、全然関係ない話。
自分自身の考え方というか物の見方とか感じ方とか、実は結構宗教的なのかな、と思うときがある。ここに書いている文章にそれが表れているかどうかは分からないけど。俺って意外と宗教的に考えてる?みたいな。でも、これまでにも何度か書いてきたけれど、僕は特定の信仰を持たない。
これってどういうことなんだろう。
僕は、自分が合理的にものを考える人間ではないと思っていて、だからこそ、余計に合理的に(科学的に)考えることの大事さを心掛けたいと思っている。でも、たぶん、恐れとか畏れとか、あるいは倫理とか道徳とか、あるいは正義感とか、そういうものも強固に持っている。同時に胡散臭いとも思ってはいるけれど。ともかく、ある種の宗教的と言いうる感覚を僕は持っている。それも、僕という人間のわりと根本のところにある(または関係している)ような気がする。
宗教的なのに、特定の宗教に対する信仰を持たないってのはどうなんだろう?
それって、日本人には当たり前に近い感覚かもしれない、という気もする。神社にもお寺にもお参りもするけど、神道の信者でも仏教徒でもないとか、賛美歌が歌えるけれど、クリスチャンではないとか(洗礼を受けてない、という意味だけじゃなく)。
まぁ、面白いなと思うけれど、よく分からない。なんなんだろうね、まったく。



さらに関係ない話で、よく分からないもの。クネクネとか。
僕も端から見れば、そういうことをしていると見られるのかな。少なくとも、僕の心中ではそういう意識は皆無なんだけど。

最近読んだ本と、今読んでる本。

読んだ本↓

映画の『プレステージ』の原作。映画は見てないけれど、あらすじを追ってみると、あんまりこの原作とは関係ない話になってるみたい。
面白かった。今、同じ作家の別の本を読んでるところ。
これ↓
魔法 (ハヤカワ文庫FT)

魔法 (ハヤカワ文庫FT)

でも、途中で別の本を読み出してしまった。
それがこれ↓
陋巷に在り〈1〉儒の巻 (新潮文庫)

陋巷に在り〈1〉儒の巻 (新潮文庫)

酒見賢一は『後宮小説』だけは、大分前に読んでいた。『墨攻』も良かった。映画は今一つだったなぁ。