新聞とってるよ、まだ。

ただし、そんなに熱心には読んでいないので、無駄と言えば無駄かもしれない。でも、うちの奥さんはわりとちゃんと読んでるみたい。ちなみに東海地方で有力なブロック紙です。
確かに、情報を得るだけならWEBだけで十分かもしれない。ただ、地方のニュースで細かいニュアンスが知りたいときには、新聞が使える場合もある(というかWEBが使えない場合がある)ので、限定的ではあるが価値がゼロってほどでもないかな、と。
ところで、『green - 新聞没落』という記事と、その続き『green - 新聞没落-余考』を読んだ。(あと、前者の記事に対するfinalventさんの言及記事も。)
ま、それほど深い考えがあるわけじゃないけれど、思いついたことをメモ的に書いておこう。

日本の戸配新聞は、ちょっと外国の新聞とは別のものだと思う。高級紙と、宅配タブロイドと、広告(誌面の30%以上は広告だし、実はかなりが出版社の広告)なんだが、もう一つ、あれです、実は、市民社会監視の機能がある。
 この市民社会監視が実はかなりキモーイしろもので、あまり議論されていない。(実は先日の闇のなんたら事件も核心はネット犯罪ではなくてこっちにあったのだけどね。)
 で、これは副産物であって、実際の主産物は、地域の広告媒体。つまり折り込みチラシ。これがけっこうバカにならない経営源になっているのだが(なので押紙はこの副作用ですらある)、その構造がどう崩れるか。つまり、地域広告媒体がどう崩れるかで、実は大手紙が潰れる(理論的にはで実際は微妙)。

(中略)

 っていうか。
 ブログとか見ていると、新聞を報道メディアだと勘違いしすぎ。基本的には広告メディアですてば。

これだけど - finalventの日記

新聞が広告メディアだというのは、言われてみればその通りだな、と。折り込みチラシの威力はバカにならないっすよ。実際のところ、我が家の支出の大部分はチラシに左右されていると言っても言いすぎじゃない、かも。
スーパーとかホームセンターとか衣料品の量販店とかで買う物は、もちろん生活していく中で必要と思ったものを買うわけだけれど、具体的に何を買うのかはチラシが最終的な決め手になることがほとんどだ。いや、買う買わないは別にしてもユニクロの広告とか見てるだけでも楽しい。それは僕だけかもしれないけど。

失礼になるかも知れないが、まあ、思うところを言えば、情報に対する感度がやや低かったり、合理性を突き詰めることの少ない、ちょっと遅れた人たちを一般紙は主要な消費者としている、ということだろう。

とはいえ、チラシにそれほど需要があるならば、ここにビジネスチャンスがある。

全国のスーパーの安売り情報を一覧できるサイトがあれば、かなりアクセスを稼ぐのではないか。あるいは、チラシだけを無料で毎日、戸別配布する会社は成り立つだろうか。

チラシ配布会社を考えるに、配布網を作るだけで相当な人件費を食いそうだが、そう考えるに、新聞社の真の資産とは、新聞販売店かも知れない。

http://d.hatena.ne.jp/Mr_Rancelot/20070920/p1

「新聞社の真の資産とは、新聞販売店かも知れない」は「かもしれない」ではなくて、「である」と断定していいように思う。
不思議なもので、同じチラシでも新聞の折り込みチラシとそれ単体の投げ込みチラシでは、折り込みの方が効果が高いような気がする。折り込みは大量の他のチラシに埋もれてしまう危険性もあるが、単体の投げ込みチラシは確実に手に取ってもらえるだろうけど、ほとんど中身を検討されずにゴミ箱行きになる可能性も高い。いや、うちがそうだから、ってだけなんですけどね。他の人たちはどうでしょうか? なんとなく折り込みチラシの方が信用できそうな(単体のチラシの方が胡散臭そうな)気がしませんかね。その辺が、情報の感度がやや低い、ってことかもしれないけれど。
だからなのか、うちの近所ではフリーペーパーの配布がやたら多い。それだけ、広告を載せたい需要があるから、ということなんだろうな。そういう意味では、Mr_Rancelotさんの言う「チラシだけを無料で毎日、戸別配布する会社」はチラシではないけれども、既に存在しているとも言えそうだ。駅や店頭に並べられたフリーペーパーは、それはそれで効果があるのかもしれないが、戸配されるフリーペーパーはそれとはまた違った(広告主と読者双方にとっての)需要を喚起しているようにも思う。
現状の効果としては、折り込みチラシ≧戸配のフリーペーパー>>>>投げ込み、と言う感じじゃないだろうか。これは、新聞というある種の権威を利用して消費者に「ちゃんとした」印象を与える折り込みチラシ、まがりなりにも「本・雑誌」の体裁をしていて同じく「ちゃんとした」印象を与えるフリーペーパー、そのどちらでもない投げ込みチラシ、ということなんじゃないか、と。
大都市はともかく、地方小都市のレベルでは、細かいことでも「ちゃんとした」印象を与えるのは重要。


ところで、finalventさんが言う「市民社会監視」のことなんだけれど、これも言われてみればその通りと思い至って、すこしゾッとしたのだが、「闇のなんたら事件」の犯人が被害者を選ぶときに、この市民社会監視の機能が働いたと見ることは可能かもしれない。「この辺りに居住している女性は、金を持っている可能性が高い」というのが単なる当てずっぽうではなかったかもしれない、ということなのか。いや、詳細の分からないことを無理に推測するのはやめておいた方がいいだろう。
しかし、町の新聞屋さんは自分たちに「市民社会監視の機能」があるなんて、まず考えたことがないだろうけど。*1
話が飛ぶけれど、僕の母親の実家は、長野県の某村なんだけれども、そこは、住んでいる人に面と向かって「ここは田舎ですね」と言っても全く失礼にならないくらいの、絵に描いたような日本の田舎で(「過疎地」とまでは言わないが)。で、そこに母親の姉(伯母さん)が住んでいて、長野県内の有力地方紙を長年購読していた。ところが、近所でその新聞を購読している家が、伯母の家1軒だけになってしまって、そうしたら、そこへ配達していた新聞店が「その1軒のためだけには配達できない」と言い出して、配達をやめてしまったそうだ。伝聞情報なので、正確さは保証の限りではないけれど、事実だとすると、「地域広告媒体としての新聞」はそういう地方の田舎では、とっくの昔に終了、ということなんだろうな。


さてさて、話はまた飛躍するけれど。
先日の記事で、僕の実家では「赤旗」(日本共産党の機関紙ね。ちなみに日刊だよ。)を購読していたということを書いたけれど、この「赤旗」の配布網こそが、Mr_Rancelotさんのことばを借りれば「共産党の真の資産」でもある。「赤旗」を配達するのは、その地域に居住する党員が一般的だ。その人たちが選挙時期などになると、共産党の宣伝ビラの配達人になったりする。また、市町村の議員くらいのレベルなら、その議員本人が配達しているケースも珍しくない。(逆に言うと、「『赤旗』の配達をしていたAさんが今度の選挙に立候補したよ。あ、当選しても、まだ配達してる。」というようなことだったりする。)要するに、「赤旗」の配布網は共産党の選挙活動・政治活動の原動力になっているし、そのことが直接的にではないけれど『共産党は草の根の声を拾い上げて、弱者の味方をしてくれる」という(少なくとも市町村レベルでの)評価に繋がっている。*2ところが、その頼みの配布網も、高齢化が激しくてかなりやばい状況なんだが。
僕も実家を離れて「赤旗」を読まなくなって久しいが、たまに実家に帰ったときに目を通すと、ある意味面白いと思ったりする。もともと「赤旗」をいくら読んでも、社会主義マルクス主義の勉強には全くならないのだけれど(20代前半まで読んでた僕が全くマルクス主義者でないのもそのせい)、とにかく「日本共産党はこんなに頑張ってます」という主張が、なかばやけっぱちの超ポジティヴシンキングで展開される(というふうに僕には読める)のは、なんというかすごいな、と思う。ま、なくなっちゃ困る政党かなとも思うので、もう少し頑張ってほしいんだけど。
話がずれまくったけれど、「赤旗」がWEB中心に展開していくことは、まだまだ先のことだろう。少なくとも、この配布網が選挙・政治活動に有効であるうちは。でも、その前に配達する人が60歳以上の人しか居ない、ってことになって自然消滅の可能性も無きにしも非ず、か。

*1:そういえば、郵便配達も同じようなものか?

*2:ひょっとしたら、公明党もそうかもしれないな。知らないけど。