ポップスはどこからポップスか問題

ポップ・ミュージックが私の人生にもたらしたものはあまりに大きい。

神とポップスというテーマでなんか考えてみようと思う。



ポップスってどこからポップスなんだろう?調から自由になった頃からかな?

はてなグループ

僕の人生にもポップ・ミュージックは多大な影響を与えている。ほとんど生き方を決められたと言ってもいいくらい。感謝してもしきれるもんじゃない。
ただ、「神」については、よく分からない。ポップスとかロックとかは、ある意味で神を殺そうとするものでもあるからだ。ただ、信仰という視点から考えれば、そもそも信仰のない者が神を殺すことなどありえない。例えば、MARILYN MANSONは『Antichrist Superstar』なんていうタイトルのアルバムまで作っているけれど、それはマリリン・マンソン自身が実は敬虔なクリスチャンであることを逆説的に証明しているとも言えるのだ。*1
とはいえ、僕自身は「神」に対してどういう距離をとればいいのかよく分かっていない。そもそも「距離をとる」という発想からして間違っているんだろう。どういう風に書けばいいのか難しいことだし、結論も出ないのでここではこれ以上深入りしないでおきます。


ところで、ポップスがポップスになったのはどこからなのか、という問題なんだけれど、即物的に考えれば、上記のリンク先に付けたブクマのコメントにも書いたが、「ラジオとレコードの普及」が最大のポイントだろうと思う。
もともと娯楽としての音楽というのは、一部の特権階級のものだったわけで、だから、クラシック音楽の元を辿れば、少数の楽器によって演奏される宮廷音楽が中心にある。それが時代が下って、でかいホールで多人数の演奏家によって演奏される交響楽というかオーケストラが登場した。つまり、オーケストラってのは(比較的)貧乏人のための音楽で、逆に言うと、音楽を特権階級から大衆へ開放したわけだ。
でも、それでもなお、音楽を楽しむには時間と場所が限定されていた。それを打ち破ったのがラジオとレコードだと、僕は思う。
言うまでもなく、レコードは、録音された音楽を「いつでも、(プレーヤーがあれば)どこでも、何度でも」聴くことが出来るようにしたシステムだ。それだけでも、時間と場所の壁を越えるのに十分なように見えるが、ラジオはさらに重要だ。「大多数の人が、同時に、ある一つの音楽を聴く」ことを可能にしたラジオというシステムは、ポップスがポップスであるために最も必要な「大衆性」の獲得のための、非常に強力な道具だったのだ。つまり、音楽は「お芸術」から、新聞・雑誌・書籍などど同等の「メディア」になり、このラジオとレコードという二つのシステムが互いに連携しあって、音楽(とくに歌)をポップスという「商品」に育て上げた、と言っていいように思う。


音楽的な視点から見ても、ラジオとレコードはとても重要だ。Marco11さんが「調から自由になった頃」という指摘をされているけれど、ポップ・ミュージックの持つ(クラシックにはあまりない種類の)自由さ・奔放さというのは、レコードという文字通りの商品を売るために、ラジオから流れたときにキャッチーであるために発明されたものじゃないかと思う。(あるいは、ラジオから流れた時にキャッチーな音楽だけが売れていった、というのもあるだろう。ま、両方か。)
バーやカフェで、商店の店先で、家庭での家事をこなしながら、様々なシチュエーションで聞かれるラジオの特性を生かしきるためにポップスは進化し変化していった。
その後のテレビの登場は、音楽そのものへの興味から、誰が歌っているのかという人物に対する興味へと消費者の関心を大きくシフトさせたということはあって、それそれで見逃せないポイントだけれど、基本的にはラジオの登場で起こった現象の延長にあるものだ、と思う。
「ビデオがラジオのスターを殺した」と歌う曲があるけれど、その前に「ラジオが古い音楽を殺した」ということなんだよな。


で、インターネットの普及は、そのポップスのありようを変える可能性を持っているし、実際に実現しつつあるのかもしれないけれど、「インターネットがビデオのスターを殺した」と言えるまでには、あともうちょっとだけ時間が掛かりそうな気がする。気がするんだけど、その辺の話は他の人に任せます。

*1:彼らの音楽に「悪魔の音楽」というレッテルを貼りたい人たちには、とても腹立たしい事実だろうな、これは。