歴史を物語化したり、物語を歴史化したりするのは、本当は危険だと思う。思うけれど、物語にこそ僕は涙する。

安徳天皇漂海記

安徳天皇漂海記

久しぶりに、面白い小説だったな、と。さすが、山本周五郎賞受賞作。
ただ、特に小説は購入してから積んだままのものが多いので、「久しぶりに」と言っても、そういう未読作品の中にもっと面白いものが含まれているかもしれませんが、それはともかく。
できれば、この作品を読む前に、澁澤龍彦の『高丘親王航海記 (文春文庫)』を読んでおくと良いと思います。本当は太宰治の『右大臣実朝』(青空文庫で読めます。)とか小林秀雄の『実朝』(『モオツァルト・無常という事 (新潮文庫)』に収録されているそう*1)なども目を通しておくと良さげ。でも、読んでなくても十分面白いと思います。
安徳天皇と言えば、壇ノ浦の合戦*2での入水が『平家物語』の中でもとりわけ悲劇的な場面として描かれているわけですが、あまりにも有名であるために、現在ではその悲劇性が弱まって伝わっている面がなきにしもあらず、という印象を個人的には持っています。
しかし、この作品は安徳帝の悲劇を、鎌倉幕府三代将軍実朝の(その実の甥の手による)暗殺の悲劇、さらには(中国史における)元による南宋の滅亡の悲劇と重ね合わせることで、あらためて浮かび上がらせることに成功しています。ファンタジーっぽい(というか、トリッキーな)設定も、この悲劇を際立たせるための装置として上手く機能しています。
ちなみに、南宋の滅亡についてはWikipediaにも簡単な記述があります。以下引用↓

1276年、モンゴルのバヤンに臨安を占領されて事実上宋は滅亡した。このとき、張世傑・陸秀夫ら一部の軍人と官僚は幼少の皇子を連れ出して皇帝に擁立し、南走して徹底抗戦を続けた。 1279年に彼らは広州湾の突山で元軍に撃滅され、これにより宋は完全に滅びた。忠臣の鑑と称えられる文天祥も2年以上各地で抵抗戦を続けたが、1278年に元に捕えられ、獄中で『正気の歌』を詠み、1282年に刑死した。(強調は引用者)

あまりにも簡単すぎてここからは何も分かりませんが、太字で強調した部分が、この作品では実に巧みに描写されており、僕は読みながら少し泣きそうになりました。壇ノ浦の合戦(1185年)から100年近い後の時代のこの悲劇が、安徳天皇とどのように関わるのか(それは、書名の『漂海記』という言葉の意味とも密接に関係しています。)は、実際に読んで確かめて欲しい、と思います。


ところで、この記事のタイトルに書いたことについてなのですが、やはりこの作品は「小説」であって「歴史」ではないんですよね。そんなことは言わずもがなかな、と思うのですが、フィクションをフィクションとしてではなく「歴史そのもの」と受け取ってしまう人も世の中には居るので、念のため。(司馬遼太郎の「小説」を「歴史」として受容してしまう人とか、たまに居ますよね。)それはやっぱり、ちょっと危ないことだと思うんですよ。
でも、その一方で、学校で「歴史」を暗記するものだ、と習ってきた人・今でもそう思い込んでいる人*3には、こういう作品などを読んで「歴史」を「物語」として楽しんで欲しいな、とも思ったりもします。別に、「教訓」とか「知識」とかそんなものを読み取る必要なんてない、ただ純粋に「面白いもの」として読めばいい、あってもそれはおまけでしかないんだよ、と。
そして、その「物語」の世界はとてつもなく豊かで、何しろ同じネタで何十種類も異なる「物語」が作られているほどで、そういう多面的な世界がある、というのも面白い。


安徳天皇漂海記』は、歴史小説とは言い難いかもしれませんが、「歴史を扱った小説」としてはかなり面白い作品でした。いや、それではこの作品の面白さをかえって矮小化しているかもしれないな。ファンタジー小説(または伝奇小説)としても、すごく面白いです。

*1:こういう有名な本を読んでいないことで、僕がいかにダメな国文学科卒業生なのか分かりますね。

*2:これ、解説が必要かな? 分からない人はWikipediaでも参照して下さい。というか、日本史の教科書を以下略

*3:ちなみに、うちの奥さんがそういう人です。