読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

『『漢字字源辞典』の「質」の項目について。』のコメント欄があまりにも長くなったので、便宜上転載。(その2)

前回のエントリのコメント欄が長くなりすぎて、俺のケータイからは読めなくなったので、ちょっと転載しときます。(その1)から(その3)まであります。

hal 2010/02/17 22:48
うーん。もう少し人の文章をよく読んで、それなりに批判していただきたいものです。以下5点ですが、

(1)
> finalventさんは「この本に書いてあるよ」とおっしゃった。応答として
> はそれでも十分であり、著作物を引用までするかどうかは本人次第であっ
> て、「引用の義務」などというのを持ち出すのはそれこそ詭弁のように感
> じられます。

(2)
> halさんは「アナタの言説がそうした労力あるいは金銭を払う価値がある
> ものかと考えるとそうは思えません」とお書きになられていますが、引用
> を求められる側もそのように思う可能性をお考えになられませんか? 「ど
> うせ通じないから、引用の労力をかける必要はないな」とか。酷い言い方
> ですが、正直言って俺はそういう風に考え始めていますよ。

(3)
> 「これじゃ、山田氏が斦の字を著書に出してたのかどうかさえわからない」
> とか「私は今の今まで山田氏は著書に斦の字を用いてないものと思ってま
> したよ」というのも、原典に当たっていれば、しなくて済んだ(もしくは
> 修正できた)誤解でしたね。あるいは判断を保留にしておけば、少なくと
> も俺みたいな人間にとやかく言われることもなかったわけです。


(4)
> 「原典を参照してほしい」ということを繰り返し書かれているのに、「隠
> し」とか「完パクリ」とかって…。ご自分のお書きになられていることを
> 理解されてますか? 早く原典を参照して、「finalventはこんな重要な事
> 実を隠していた!」とか「実はあのエントリは山田勝美の著作物のパクリ
> だった!(しかも、その著作物は当該エントリに示されている!)」というエ
> ントリをお書きになられればよかったですね。

(5)
> そうした指摘がきちんとできるように、是非相手が示した典拠にあたるく
> らいのことはしていただきたいと思います。強要ではありません。


最初に書いた私自身の引用でそれについてのお応えはしています。再掲。

h> さて、内容に一言添えておくと、件のエントリですが、これが私だけに向
h> けられたものでない以上、論理の飛躍や文意の不明さは、あれを目にする
h> 全ての人に関わってくる問題なわけで、それゆえに「論理的飛躍の穴埋め
h> をして読者の理解を助ける数行の引用を拒む理由は何もない」、「説明す
h> る義務は この言を公開した id:finalvent にある」と書いたんだけど、
h> 論理的思考力に難があり、なおかつ、虚言癖(ポゴ・レリーチ)の兆候が見
h> られ、対人コミュニケーションに根源的な問題を抱えてると想像される人
h> は、目の前の議論のヒートアップに連られて、公開文書の公正性確保といっ
h> たより高次の問題にまで考えが至らなかったんでしょうね。

つまり、あそこに公開されてる文章は私だけのために書かれたものではないのですよ。id:nijuusannmiri にはそこのところをよく考えてほしい。もちろん、私が他の読者のことなどを考えるのは本来大きなお世話なのですが、でも、アレが私だけでなく公に向かって公開されてる文書である以上(インターネットってそういうもんですよね)、論理的な飛躍を指摘され意味不明とされる点があるなら、著者が修整を施すなり、注釈を加えるなりして、「不特定多数の読者」の便宜を図るべきでしょう。しかも、何度も書きますが、著者である id:finalvent 自身のすぐ手元に引用元の書籍があるのですよ?

n> そうやって原典にあたらないで済まそうとする態度に俺は呆れているのですけど。

著者が一緒だから同じだと思いますよ。違うというなら指摘すればいいのでは? 原典教の信者でもない限り、そんなところで「原典」は必要ないと思いますが。見知らぬ人に対して何様かと思います。

n> また、「「山田勝美氏の説によれば」と書かないで、己が説として書き込
n> んでるのがまず不誠実(=ズルイ)ですし、誤解の元になってると思います」
n> というのは、「誤解の元」ということは分かりますが、典拠を示した後で
n> もそれは当てはまりますか?

いやまず最初の時点での話です。あれを読んだら誰でも、id:finalvent が自説を述べてると思うでしょう。他人の考えたことをさも自分の考えたことのように書くのを「ズルイ」というんですよ。それが、id:finalventクオリティなのでしょうけど。これについては後述。

そして、典拠を示したと言いますが、山田勝美氏の著書から、どこやらを取ってきたらしいということはわかりますが、どこからどこまでが山田氏の著作からのコピーなのかはあのやりとりの中でさえ明らかにはなってませんよ。明らかにするためには、id:nijuusannmiri が書いたたったの数行を引用するとともに、「ここから全てコピーいたしました」とid:finalvent が「白状」することでよかったんですが、それをやりたくなかったから、小出しに出してたんでしょうね。id:finalvent の人物評価についてはまとめて後述を参照してください。

n> 「引用の仕方が間違ってます」って、引用ではなく、山田先生の説を
n> finalventさんなりに噛み砕いた結果の文章ですよ?

「若」についてさえ間違った知識で誤ったことを書く人にこういうことに立ち入る資格はないと思うのですが。私ならそんなさしでがましいことはしませんけど。一応説明しますね。

山田氏>>>>
「質」
チ。シツ。「斦」(柄の曲がった斧の二個の形)がこの音を表す。「斦」の音の表す意味は、「直(フリガナ:ち)」(相当する)である。「ギン」の音が「チ」に変わった。齗(gin)→祈(ki)、希(ki)→絺(ti)<<<<

id:finalvent>>>>
「貝」の形は貨幣の意味を表す。これに音を示すのが「斤」(ギン)。ギンがチに音変化した。元の音の意味は、「直」で「相当する」

これは「噛み砕いて」る表現じゃないですから。二つの情報それぞれに何があって何がないか考えてください。

【山田氏の記述】
(Y1)山田氏の説である
(Y2)「質」の字についての言及であることがわかる
(Y3)斦(ギン)が音符になっている
(Y4)斦=直 の意味が「相当する」で等値である。なぜなら「斦ギン⇒チ」
 に音が変化したから。さらにその根拠はということで図式が書かれている。

id:finalvent の元エントリ】
(F1)id:finalvent のオリジナル説として公開(引用元が書かれてないので)
(F2)「質」の字について言及していることはわかる
(F3)音符が「斤」となっている(のちに訂正)
(F4)「斤(ギン)⇒チ」に音が変化  ※オリジナルの文脈は「斦ギン⇒チ」
(F5)ギンの音の元の意味は「直」(相当する)なので、「質」の意味は「相当する」
  これは音符「斦」の元の意味が「直」というのが山田氏の記述。
  この点についての訂正は最後までされなかった。
  また、山田氏が「質」の説明として図式を書いたことはここに書かれていないし、
  それも最後まで説明されなかった。

(1) (Y1)と(F1)の違いは、非常に大きいです。あとになって、id:finalvent は山田説の引用であることを明かしますが。”情報が小出し”なので、どこからどこまでが 山田氏の説で、どこからどこまでが id:finalvent の説なのか非常にわかりにくい。
(2) 【追記】以後の話になるが、山田氏の説が直接「質」の字について述べたものであったかどうかがid:finalventの書き方では不明。追記によって、山田氏作であるという図式だけが示されたが、「質」の字を id:finalvent が勝手にその図式に応用したと受けとめられても仕方ない。なぜなら、id:finalvent オリジナル説として元エントリは提示されているから。またそうした推論に対する反論もなかった。
(3) 「斦」の字が山田氏の著書の「質」の項目に載っていることが、id:finalvent のエントリでは触れられていない。これは音符の話なので重要。
(4) 最後にこの違いが最も重要なのだけど、山田氏は「斦ギン⇒チ」に音変化したと書いてるが、id:finalvent は「斤ギン⇒チ」に音変化したと書いている。山田氏のような書き方がされていて、なおかつid:nijuusannmiri引用のように「シツ」の音についても触れられていれば、「質」の字に元々ある2つの音のうちの「チ」のほうの音(去声)の意味の説明なんだということがわかる人にはわかる。しかし、id:finalvent の書き方だと、「シツ」についての言及がないので「質」の字全ての意味の説明と受けとめられる。id:finalvent が今でもその違いに気がついてるか非常に疑問。「質」の音の入声の「シツ」と去声の「チ」は両方とも中古音で zhi と書けるが、四声が入声か去声かで発音も意味も違ってくる(通説)。id:finalvent はそのへんの知識が欠けているように見受けられる。私がそのことを書いたとき、「自説」だと書いてたから。入声の「シツ」と去声の「チ」の違いを認識して、「質」の字の「チ」の音の意味の説明だということを明確にするように書くなら、

id:finalvent>>>>
「貝」の形は貨幣の意味を表す。これに音を示すのが「斤」(ギン)。ギンがチに音変化した。元の音の意味は、「直」で「相当する」

という書き方にはならない。

山田氏>>>>
「質」
チ。シツ。「斦」(柄の曲がった斧の二個の形)がこの音を表す。「斦」の音の表す意味は、「直(フリガナ:ち)」(相当する)である。「ギン」の音が「チ」に変わった。齗(gin)→祈(ki)、希(ki)→絺(ti)<<<<

この書き方なら、「質」の音である「シツ」と「チ」のうち「チ」と発音する場合の意味についての説明だという理解ができる。山田氏の(意味)の欄には「ただす」など入声の「シツ」の意味も書かれているが、(字音)と(字義)の説明(=id:finalventの元エントリに相当)では去声の「チ」に関するものだけ書かれている。「シツ」の音については触れられてないので、その意味については言及されていないのだろう。

入声・去声についての知識があって「チ」の説明が入声「シツ」と去声「チ」の二つの音のうちの去声「チ」の説明であるという筋が見通せていたら、こういう「噛み砕いた」書き方にはならなかったでしょう。知識のない人が、勝手に「噛み砕いて」書いちゃいけないということです。知らず知らずのうちに必要なデータが抜けるんだから。id:nijuusannmiri は原典原典と書くのだから、ナマの資料の重要性を認識してるんですよね。勝手に「噛み砕いて」書くことの危険性もわかってると思いますが。

n> さらに、「ああ、あの図式が「質」の項目の中にあるという情報も
n> id:finalvent は「隠し」てたんですよね」とか「最初のエントリの内容
n> がそのまま山田氏の著書からのコピーだから、引用を躊躇ってたんでしょ
n> うね。なぜなら、引用を示せば「完パクリ」だということが露呈されるわ
n> けですから」というのは、ほとんど意味不明ですよ。
n> (…)
n> 今度は「隠し」と「パクリ」ですか。なんというか、言葉を失いま
n> す。「余計にかかなくてもいい恥をかくことになった」のはどちらなんで
n> しょうかね。

いや意味不明じゃないし、「隠し」や「パクリ」と思われて仕方ないのが id:finalvent の過去の行状です。

1)知らないピアニストの名前を出して、さも聴いたことがあるように「凄い」と書いて音楽通ぶる
http://mephistowaltzer.co.cc/t/20090524.html#p04
2)ピアノ譜を見たことがないために、ただの五線譜をピアノ譜だと言って、これまた通ぶる
http://mephistowaltzer.co.cc/t/20090823.html#p14
3)東トルキスタンの意味を知らないのに間違った己の知識で誤った由来を堂々と講釈を垂れるように書く
http://mephistowaltzer.co.cc/t/20090730.html#p08
4)be married は形容詞adjective (結婚している・結婚した結果の状態)なのに 受動態(結婚させられた)だと堂々と講釈を垂れるように書く
http://mephistowaltzer.co.cc/t/20090916.html#p06
5) ソシュールau の発音は o なので「ソシュール」でいいのに「ソーシュール」と知ったかで書く
…etc.

id:finalvent の嘘と知ったか振りを挙げたら枚挙にいとまがありません。はっきり言って、id:finalvent最低です。嘘と知ったか振りの例を逐一挙げられて恥をかくのは id:finalvent にほかならないでしょうね。

そして、そういう人が、引用元を書かないで、さも己の説のように書き散らかしたなら、また「自分の手柄」にして大物のように見せたかったのだなと、事情を知ってる人は思いますよ。

さて、私はこれ以上この議論を続けることに気が進みません。だってヘンでしょう? 私とFの議論について、Fの代理人みたいな第三者と私が議論するって。私は削除してもらっても構わないのですが、そのへんは管理者である id:nijuusannmiri にお任せします。

※ 山田さんの著書ですが、併行して漢和辞典で通説を確認しながら読むのがベターだと思います。通説を確認しないで、異説を読むというのは、「面白ければいい」ならいいんですけどね。

nijuusannmiri 2010/02/18 18:19
>halさん
コメントありがとうございます。

しかし、俺の話が通じていないらしいことに、軽く絶望感さえ覚えます。

俺のことをfinalventさんの信者か何かのようにお考えなのでしょうか。また、このエントリもfinalventさんを擁護するために書かれたとお考えなのでしょうか。もしそうだとしたら、「それは違う」とはっきり申し上げておきます。
俺が、このエントリを上げたのは、今回の漢字の件についてhalさんがなさってきたfinalventさんへの批判の中に、俺の常識に照らして、明らかにおかしい・不誠実と思われる点があり、それを指摘するためです。

以下、いただいたコメントへの応答です。

まず、「公に向かって公開されてる文書」の段についてですが、確かにブログであれTwitterであれ、web上で公開された文書には違いありません。しかし、公的機関でもなく、大手のマスコミでもなく、大手のマスコミに準ずるようなニュースサイトでもなく、Wikipediaでもなく、研究機関でもなく、企業・団体等でもない、単なる一個人が運営するブログにおいて、そこまで「説明責任」を問われなくてはならないのかと考えると、俺には疑問です。いわゆるヘイトスピーチのような言説に対しては、俺もやや厳しい見方をすることがありますが、たとえそういう場合であっても、「説明責任」とは発言した個人の裁量の範囲内で果たされるべきもので、「引用の義務」のようなものは発生しないと考えます。引用するかどうか、あるいは説明するかどうかも、個人の意思(もっと言えば親切心や気まぐれ)によって決められるものです。halさんのように「引用の義務」を果たしていないなどと非難するのは、俺から見ると奇異に思えます。
が、前に書いたように、これは見解の相違ということで結構です。

次の「原典」に関する話が一番重要なのですが、これには後で触れます。

それから、「いやまず最初の時点での話です。あれを読んだら誰でも、id:finalvent が自説を述べてると思うでしょう」というのは了解しました。そのような観点からの批判はありうるでしょうし、俺も理解できます。その後に典拠となる本を示したことで、その批判への対応は終わったと俺は考えますが、halさんがそうお考えにならないということも分かりました。それは繰り返し書いているように、「見解の相違」ということでしょう。

「「若」についてさえ間違った知識で誤ったことを書く人にこういうことに立ち入る資格はない」というのは、ええ、halさんがそのようなことをいずれ言い出すだろうということは予想がついていましたので、だから、このエントリを書くのも一度はやめたんですよ。面倒なことになるだろうな、と。「さしでがましい」ことでもありますから。
しかし、いくら俺が無知であっても、看過しえないこともたまにはある、ということです。もちろん、halさんがそれに付き合いたくないと思われるのであれば、別に構いません。

では、「原典」の話をしましょうか。
halさんは、今回いただいたコメントにおいて、山田先生の文章とfinalventさんの文章を比較して、finalventさんの落ち度を指摘されています。その指摘の内容については、ある程度理解できないこともないです。(俺には重箱の隅を突いているだけのようにも見えますが、それはどうでもいいことです。)というか、このような批判のやり方であるなら、俺もhalさんに対して「知的誠実さに欠ける」とまでは思いませんでしたけどね。
でも、これは原典とfinalventさんの文章を比較して初めてできることなんです。俺はそこを問題にしているんですよ。
いいですか。俺は「原典にあたったうえで、なおかつ批判すべき点は批判する」ということには何の問題もないと考えます。しかし、それと「原典に当たらず、自分の思い込みや誤解を元に、的外れな批判を繰り返す」こととは全然違う問題です。例えそれが、批判する相手の落ち度や不誠実さによってミスリードされた結果の、思い込みや誤解であってもです。少なくとも俺は、原典を読んだので、halさんのエントリのいくつかを読んで、失礼ですが、滑稽で痛々しいと思いましたよ。原典を見ればこんなことをせずに済んだのに、と。
さらに付け加えると、俺がここに示した引用の内容も、原典に当たらなければ、正しい引用かどうかの判断も出来ないのです。つまり、俺が悪意を持って、引用の内容を改竄や捏造している可能性すらあるわけですよ。もしそうであれば、せっかく書いていただいたhalさんの文章もまたもやゴミ屑同然に成り下がってしまいます。その場合は、当然、俺の不誠実さも批判の対象になるでしょうが、同時に、原典を確かめもせず批判を繰り返した側も(気の毒には思われるかもしれませんが)浅はかだったね、という評価を受けるかもしれません。ちなみに「引用元に当たらず何かを論ずる」ことは、研究者であれば、資質を問われかねないことですし、学生であっても教官から叱責されて当然のことですから。
底意地の悪い言い方をすれば、もっと早い段階でfinalventさんが引用をしていたとしても、それだけを元に批判するのは、してはいけないとは言いませんが、ちょっと危ないですよ、ということです。
halさんは「原典教の信者」などと揶揄されているつもりかもしれませんが、原典を軽んじることの危険性をもっと認識された方がいいかもしれませんね。
いえ、何も俺は全ての人が自分で原典に当たらなければいけない、なんて思っていませんよ。しかし、時間的・金銭的余裕がないなどの理由で当たらないのであれば、書かれたものを鵜呑みにしたり、逆に全否定したりするのではなく、心の中で「これは判断保留だな」と思えばいいのです。もちろん、その旨を文章にしてブログに載せても構いません。それが賢いやり方だと、「俺は」思います。

そして、俺がやはり呆れるしかないのは、「著者が一緒だから同じだと思いますよ」と原典に当たらないことに何も問題意識をお持ちでないらしいところです。
「少なくとも俺は」、自分が読んだこともない本の内容を類推して決め付けるようなことはしたくありません。同じ著者の同じテーマを扱ったものだったとしてもです。
安部公房の『砂の女』と『他人の顔』を読んだから、『箱男』は読まないでも内容が分かる。それはこうに違いない」という人が居たら、普通はおかしいと思いますよ。小説を例に挙げるのはフェアではないかもしれませんが、これが、学者が書いた自身の研究に関わるテーマについての本であっても、基本的には同じことです。
時期や状況によって考えを変えたり発言内容を変えることは、研究者であってもよくあることですから。
そして、前のコメントでも、俺は「判断できない」と書きましたよね? 「違う」とも書いていない。それは俺が『角川 字源辞典』を読んでいないからです。だから、現時点で「同じ」とも「違う」とも判断できないということです。
俺がそのうち、そちらの本を読んで『漢字字源辞典』との内容の違いを吟味することもあるかもしれませんが、その結果「同じ内容である」と判断する可能性はあります。しかし、読みもしないで「同じだ」と決め付けることと、両方を見比べた結果「同じだった」と理解することは全く(価値や重み)が違うことです。そして、「実際に読んでみたけど、同じ(違う)内容だったよ」という他人の意見をそのまま受け入れることも、危なっかしいことであることには変わりありません。(ま、この辺は相手との信頼関係に関わることですが。でも、俺とhalさんは「見知らぬ人」同士ですから、それくらいの認識はあってもいいでしょう。)
なので、俺としては、自分の読んでいない本の内容を類推して結論を導くような愚かなことはしたくありませんよ、と。(もちろん、以前に指摘されたようなポカを俺もしてしまうことがありますので、自戒を込めてそう思う、ということです。)

それから、finalventさんの「過去の行状」についてですが、俺としては、それらについては、今のところ、どちらが正しいのか判断するつもりはありません。知識がないということもありますし、興味があんまりないということもあります。気が向いたら、それらについても検討するかもしれませんが。その際には、halさんのエントリも参考にするよう心掛けておきます。つまり、「判断保留」ということですから、halさんがお書きになられたことが100%正しい可能性も否定しません。
ただし、finalventさんの「過去の行状」がいくら酷いものであったとしても、今回の件についてhalさんがしていることに関する俺の感想は変わらないでしょうね。
というか、「過去の行状が酷いので、今回の件も相手が悪い」という論法を逆手に取れば、「今回の件があまりにも酷いので、過去の件も間違いだろう」と言うことも出来ますね。俺は、これはどちらも詭弁だと思いますので、そうした考え方はしませんが。
それより、「珍説を創作」と批判していた舌の根も乾かぬうちに、「隠し」だ「パクリ」だと言い出す人を、俺だけでなく、他の人がどう見るかも気にしてはいかがですか。いや、別に気にしなくても一向に構いませんが。
「そういう人が、引用元を書かないで、さも己の説のように書き散らかしたなら、また「自分の手柄」にして大物のように見せたかったのだなと、事情を知ってる人は思いますよ」というのは、当たっている可能性はありますが、「珍説を創作している」と散々批判していた方がそれをおっしゃるのはいかがなものかと、俺は思います。これも見解の相違でしょうか。

「私はこれ以上この議論を続けることに気が進みません」というのは、俺もそう思っていますので、そうしましょう。

「山田さんの著書ですが、併行して漢和辞典で通説を確認しながら読むのがベターだと思います」という点については、今後の読書の指針としては同意します。

nijuusannmiri 2010/02/18 18:28
あー、気が変わったので、削除はしません。