分裂勘違い君について、妄想を暴走気味にさせて考えた。

最近、id: fromdusktildawnさんのことを考えています。と言っても、今さらrespectを表したり、反対にdisrespectしたりしたいわけでもないし、今、何か言及したいことがあるわけでもないです。


じゃあ、何を考えてるのかというと、fromdusktildawnさんというブロガーそのもののこと。
僕が、『分裂勘違い君劇場』というブログをある程度読み続けてきて感じるのは、「あぁ、この人は読者をどこかへ連れて行きたいんだな」ということ。「どこか」というのはどこなんだよ、というのは上手く説明できるかどうか自信がありませんが、「ステージを上げる」ということなのかな? 例えば、普通の人は地上2mくらい(自分の身長くらい)のところから物事を眺めているんだけれど、それを、地上20mから見たらどうなるか、200mなら、2000mなら、ということを提示したいのかな、と。あるいは、自分から1kmの距離にある物事を、1mで見たら、1cmで見たら、ということとか。これは、単なる印象論であって、具体的な事例からそういう結論が導き出せる、というわけではありませんが。僕はそんな風に感じながら読んでいますよ、というだけの話。


で、印象論を続けると、「どこかへ連れて行く」とか「ステージを上げる」とか、啓蒙臭い言葉だし、自己啓発っぽい響きもあるんですが、どうもそういうことじゃない。自己啓発って、それを実践することによって、本人はひょっとしたら幸せになれるかもしれないけれど、まず間違いなく視野は狭くなる。『分裂勘違い君劇場』を読んでも、そういう風にはならないと思う。啓蒙は意図に入ってるかもしれないけれど、うーん、どうかな。
単純に考えて、読者に楽しんでほしい、ということはあると思う。ブログという場でどういう風にエンターテインするか、というのは『分裂勘違い君』の大きなテーマでしょう、明らかに。映画とか音楽とか小説とかとは違った形での娯楽のあり方を探っている、ように思えるんですね。それで、本当に優れた娯楽作品は、同時に極めて純文学的*1である、と僕は思うわけです。あるいは、純文学を極めた作品は、娯楽をも極めている、と。
他のジャンルで、それを満たしていそうなのは、僕の守備範囲で思いつくものは、音楽で言えばブルーハーツ*2、映画で言うと『ファイト・クラブ*3『CURE』*4、などなど。エンターテインメントとしても優れていて、なおかつ、それに触れる前の自分にはもう戻れないんだ、って気にさせてくれるものたち。つまり、目の前の世界を一変させてしまうもの。
『分裂勘違い君』がそういうものたちと同列なのかどうかは、ちょっと判断を保留しておきたいのだけれど、かなりいい線行ってると(何故か偉そうに)思っています。
あと、小説でかなり『分裂勘違い君』のテイストに近いな、と思うのは、舞城王太郎の一連の作品。ミステリーの体裁をとりながら、全く違う次元に読者を連れて行くという意味では、デビュー作のこれが頭抜けていると思う。↓

煙か土か食い物 (講談社文庫)

煙か土か食い物 (講談社文庫)

個人的にいちばん好きなのはこれですが。↓
阿修羅ガール (新潮文庫)

阿修羅ガール (新潮文庫)

でも、舞城の作品は、「嫌いだ」とか「意味分かんない」って人も結構居る。それはもう、しょうがないと思う。
同様に、『分裂勘違い君』を嫌ったり、disったりする人も多い。それもしょうがない。エンターテインメントってそういうものだから。


そして、ここからが僕がいちばん言いたいこと。僕が巡回しているブログは、もちろん僕が面白いと感じているものたちなのだけれど、その中には「分かる人だけが分かればいい」という姿勢で書かれているものも結構ある。それが間違ってるとかダメだってことは全然ないのだけれど、時々、「あぁ、僕はこの書き手の想定するターゲットには入ってないんだな」と感じてしまって、一抹の寂しさを覚えてしまうことがあるのも否定できません。自分には手に負えない純文学を読んでしまったとき、みたいな感覚というか。(ま、それは結局、僕の個人的な問題ですが。)
でも、『分裂勘違い君』を読んで、そういう意味での疎外感を感じたことは、ほとんどありません。それは、要するにfromdusktildawnさんが親切だから、ということなんですが。なんで親切なのか、と言ったら、そりゃあ、不親切なエンターテインメントって嫌じゃないですか、ということに尽きるわけです。どんなに楽しいアトラクションでも、乗る人がいなくては意味ないですから。
もちろん、『分裂勘違い君』にも想定される読者層はあるのでしょうが、たぶんfromdusktildawnさんの考えとしては、「届く人に届けばいい→その人に届けるために目立つことをする」ということだけではなくて、「届く人にはもちろん届けるし、届くかどうか分からない人にもできれば届けたい→そのために、難しいことは分かりやすく、分かりやすいことは楽しくして、届きやすくする」というのがあるんじゃないかな、と。
で、fromdusktildawnさんがいちばん欲しているであろうものは、たぶん読者のリアクション。それは、トラックバックとかブクマとかだけではなくて、というかそういうものではなくて、『分裂勘違い君』を読んで、現実の僕の(あなたの)life(生活/人生の両方の意味で)を見直したり、変えたり、楽しくしたりすること。だから、あそこのエントリの多くは、煽りだ釣りだネタだとdisられることも多いけれど、ほとんどがポジティブなトーンで書かれているんだ、と僕は思います。


…と、妄想過多に考えました、という話。


まぁ、分かりやすさと親切さにかけては、yuki1976_2さんの右に出る人は居ない、とも思ってますが。
え? 僕? 僕のことはどうでもいいじゃありませんか(逃げ)。

*1:ちょっと誤解を招きそうな表現ですが、大衆文学と純文学の対比を念頭に置いています。どっちが優れているとかはあんまり関係ないです。

*2:特に最初の3枚のアルバムね。

*3:革命でもレジスタンスでもなく、“テロ”を成功させた初めての映画。

*4:この世に確かなものなんて何もないんだって、思い知らせてくれる映画。