在特会とか「広義の日本人」とか、そこら辺の話。

いろいろ言いたいことはあるけれど、ちょっとだけ。なるべく短くまとめたい(が、あんまり短くならなかった…)。
この前に書いた『「『通名の公的使用』は特権かどうか」についての愚考 - 23mmの銃口から飛び出す弾丸は』ってエントリの中で「在日特権を許さない市民の会」という市民団体についてちょこっと触れたのだけれど、その団体のサイトを見てると、こんな記述がある。↓

戦後、在日は自分たちを「日帝三六年の蛮行、強制連行・強制労働の被害者とその子孫」だと主張し、数々の特権を日本側に求めてきました。
 実際の来歴を見れば、現在在日一世と呼ばれる存在のほとんどが、労務動員前の自由渡航や民斡旋官斡旋などで日本にやってきたただの出稼ぎ労働者で占められています。他にも、戦後の混乱期に乗じたり、済州島4.3事件(李承晩による済州島住民一〇万人虐殺事件)や朝鮮戦争などの半島動乱から逃れてきた密入国者、甚だしきは戦後日本から半島に戻ってきた朝鮮人から外国人登録証を買い取り成りすましで日本に滞在する犯罪者など、いわゆる在日が主張する強制連行などとはまったく関係のない者ばかりです。
確かに、徴兵(半島での徴兵開始は一九四四年五月から)徴用(半島での徴用開始は一九四四年九月から)によって日本に渡った朝鮮人も存在しますが、戦後直ぐにGHQによって行われた朝鮮人帰国事業、日朝両赤十字社の合意によって行われた帰還事業などでその大半が半島へ戻っており、日本に残った在日韓国人朝鮮人たちは、帰国・帰還事業を自分たちの意思で断り日本に残っただけの外国人に過ぎません。
 こうした在日の来歴をみれば、彼らの主張する「在日一世=被害者」「在日一世以降=被害者の子孫」などというのはまったくの虚偽歪曲捏造であることが理解できます。

http://www.zaitokukai.com/modules/about/zai/speech.html

在特会の主張自体はシンプルだ。要するに「(在日コリアンが多数を占める)特別永住者は、その他の定住外国人に比べて特権を数多く持っている。これを『公平』にするため、在日特権を無くそう」ということだ。このように規定しておけば、日本と朝鮮半島との歴史のことなんかはとりあえず無視できる。ところが、上記の引用した箇所などは「歴史的に見ても在日(在日コリアンのこと)の言うことはおかしいよ」と、自分たちの主張も一応歴史を踏まえてのものなんだよと言いたいが故の文章らしい。
たぶん在特会の人は、在日コリアンの人に対して「お前ら、強制連行で日本に連れてこられたとか言ってるけど、実際は違うじゃねーか!」って言いたいんだろう。あるいは、「在日は、自らを日本の被害者と規定して、その被害の代償として特権を勝ち取ったけど、そんなの嘘じゃねーか。これ、詐欺だろ」とでも言いたいのか。
特権云々に関しては、この間のエントリでも書いたけど、俺にはほとんど言いがかりとしか思えない。だから、それで話は終わりでもいいのだが、この「歴史」の話はちょっと引っかかっていた。ナイーブな人(しかも、在日コリアンに対して「過去に日本が酷いことをしたから…」と同情的な人)が在特会のこの文章を読めば、「自分が思ってたことと違うじゃん!」となって、一転して在日バッシング側に行ってしまうこともありえなくはない。んー、それはどうなんだろ、と。
まず、俺としては強制連行はあったと思ってる。しかし、全ての特別永住者在日コリアンの人が強制連行された人やその子孫である、と言うことも無理があるんだろう、と思ってる。しかし、そうであっても、ほとんど全ての在日コリアンの人が特別永住者となっていることは問題ないだろう、とも思う。
この辺をそのうち上手く説明できないかと思っていたのだが、ちょうどタイムリーなエントリを、先日読んだ。
こういう歴史もあるんですけどね - finalventの日記
在特会のサイトの文章にもちょっと出てきた、済州島四・三事件のことにも触れられている。詳しくはリンク先を読んで欲しいのだけれど、ここら辺が特に重要な視点ではないかと思う。↓

現代の史学だと、どうしても日本というのについて、現在の日本の領域をなんとなく近代以前にフィードバックさせてそこからの拡張部分を侵略と見る。確かに侵略なんだけど、近代化という意味での日本を原点とする浸潤的な、滑らかな動きがあり、孫文だの新垣弓太郎などを生み出していく。そして、もうちょっと踏み出していうと、おそらくコミンテルン的なものも広義のアジア的な近代化でもあっただろうとは思う。それらが、ある空隙にあったとき、これらの虐殺が起きているのだが。がというのは、ここが今の日本人ではわかりづらいのだけど、ここで虐殺された十数万人の人は、ある意味の広義と曖昧になるけどという限定で日本人でもあった。内地の日本人は、どうしても本土内とあと兵士の戦禍だけを考えがちだけど、広義に日本人化させらたところでその日本人は日本の空隙において虐殺されている。その意味がうまく確定できれば、沖縄戦というのもまた、内地日本の空隙によって生じた同種の虐殺事件であるかなとは思う。

こういう歴史もあるんですけどね - finalventの日記

「日本の空隙」というのは、あんまり簡単に書いちゃってもいけないかなという気がするけど、具体的には終戦から所謂サンフランシスコ講和条約の成立までの期間と言うことになる。
この話、俺もどこまで踏み込んでいいのか分からないのだけれど、「日本人」というものをどう考えるのか、という問題でもあるんだろう。
finalventさんのこのエントリに対して、俺は次のようなコメントをした。

nijuusannmiri 2009/04/18 20:44
俺自身が歴史の感覚を持てているか自信がないので、頭でっかちに理解するしかないかなという部分もあるのですが…。
中国や韓国は対日戦勝記念日独立記念日を、国家の契機というのですか、成立の基礎に置いているようなので、現代の日本人には1945年以後は「そっちの問題だろ」と感じられるのだけれど、講和条約成立までは実は国民の帰属は必ずしも確定しているとは言い切れない部分があった。で、その「空隙」において起きた不幸な出来事によって(と、大まかに言っちゃいますが)日本へ来た人たちが居た。庶民レベルでは彼らは「広義には日本人だろう」という感覚もあった。講和条約が成立したときに国家としては彼らを「棄民」してしまったわけですが、庶民の感覚としては彼らに対する思いがあった。
…というような理解でだいたい合ってるのでしょうか?
このような歴史の視点は、日本の現代的なナショナリズムや右翼にしても、中国や韓国のナショナリズムに新和*1的な(帝国主義日本からの解放というストーリーを描きたい)日本の左翼にしても、持ちにくいものだと思います。けれども、そのようなイデオロギーの対立によらない庶民の感覚としては、妥当というか「そりゃそうだよな、人情として」とも感じますね。

nijuusannmiri 2009/04/18 20:50
あー、いや、まあ、「侵略」は侵略だし、「解放」は解放なんだろう、とは思いますが。俺も。

独立記念日」というのは「光復節」とかの方が適切だったかもしれないが、それはさておき、このコメントに対してfinalventさんから次のような応答を頂いた。

finalvent 2009/04/18 21:12
nijuusannmiriさん、ども。ええ、そうです。そこは語っても詮無いという領域でした。安藤百福が日本人、屋良朝苗沖縄県民(45〜72年は米軍統治下よって内地へはパスポートが必要)、邱永漢が台湾人(母は日本人で姉は日本人)、李登輝岩里政男)が台湾人というのは、状況によっては微妙な差でした(社会構造的な差別は歴然とありましたが乗り越えることが不可能な構造までではありませんでしたし邱氏の例などもあり)。そういう時代に生きてきた日本人にとってそこはごく普通に庶民生活の親族にまで及ぶことの多いものでした。そして、「侵略」は侵略だし、「解放」は解放という認識も、これからの時代を生きる上での国と国との礼節ではあるでしょう。

終戦は1945年で、それ以降のことは今の日本人の感覚からすれば、特に朝鮮半島や台湾のことは「もう日本には関係ない話」のように感じられるのも無理ない話なのかもしれない。こう言う俺にしたところで大差ない感覚だったりする。ただ、ちょっと考えれば、関係ない話なんかであるはずがないということも分かるんじゃないだろうか。
俺のコメントで気にしてもらいたいのは、「講和条約成立までは実は国民の帰属は必ずしも確定しているとは言い切れない部分があった」というところ。まず前提として、1910年以降は「朝鮮半島に住む人たちは皆『日本人』である」ということになった。それから35年の間は「歴然とした差別」というものはありながらも、「本土」と朝鮮半島は一つの国だったわけだ。それだけの期間があれば、人的交流も当然あるだろうし、本土から多くの日本人が朝鮮半島に渡ったように、朝鮮半島から多くの人が本土にやって来るのも当たり前のことだ。そうした中で、親族の結びつきに両者が交わることも不思議なことではない。そのような、国家間の関係とはまた違った次元で、庶民生活における「日本人」というものの感覚がこの35年の間に養われていった、と見ることは自然なことに思える。そして、この感覚が1945年を境に全く失われてしまった、とも思えない。
勿論、現在の韓国政府も北朝鮮政府もこんな言説は認められないだろう。
しかし、「本土」の一般の日本人の中に、半島の出身者もまた「日本人」である、少なくとも「広義の日本人」であるという感覚があった、というのは否定していいものなのか。いや、否定できないだろう。
それは、侵略による結果だったかもしれないし、傲慢ではないかという指摘もありうるかもしれない。しかし、戦後に起きた済州島四・三事件の難を逃れてやってきた人たち、あるいは他の事情でやってきた人たちというのは、庶民の目からは、ついこの間までは同じ国の国民であった人たちであり、「外国人だから」と容易に切り捨てられない存在であったのもまた確かなんだろう。それは、やや危ない言い方をすれば、不法入国だろうとなんだろうと、同じことではないか。
しかも、講和条約が成立する前は、これらの人たちがどこの国の国民として帰属するのかは曖昧な部分があった、そもそも。その後の展開によっては、これらの人たちに日本国籍を選択する権利を与える、ということになることも十分ありえたと思う。
だが、いずれにせよ、日本という国家は講和条約を結んだ時(調印は1951年、発効は1952年)に、これらの「広義の日本人」を「あなたたちは日本人ではありません」と切り捨てた。それが「棄民」ということ。
でもね、間違えてはいけないのは、国家は国家であって、庶民というか個人個人の思いはまた別だよ、ということ。庶民には庶民の歴史を通じて得た感覚がある。
特別永住者云々というのは、こうした歴史の感覚を国のレベルで補完しようというものではないのだろうか。いや、違うかもしれないが。ま、俺はこれがそんなにおかしな制度とは思わない。



さて、finalventさんのエントリに乗っかる形で、自分の考えを述べてきたのだけれど、これがfinalventさんの意見と同じとは思わない。俺は、俺の都合がいい部分を抜き出して、編みなおしただけだ。
ということをあらかじめ断っておいて、もうちょっと書く。
「広義の日本人」などという言葉は、侵略の結果でしかない、というのはその通りだろう。そして、その侵略からの解放によって、救われた人たちが居ることも動かしがたい事実だ。
ここで書いてきたことは、何も日本の侵略を免罪しようというものではない。むしろ逆で、日本が敗戦処理をもっときちんとやっていれば、朝鮮半島は分断されずに済んだかもしれないし、台湾でも虐殺事件は起きなかったかもしれない。沖縄も長く米軍の占領下に置かれることはなかったかもしれない(あるいはもっと早い段階で、例えば琉球共和国みたいな独立国が生まれていたかもしれない)。そういうことを言っている。これらの仮定は今となっては無意味な仮定でしかないかもしれないが、考慮に入れておいてもいい仮定ではないだろうか。(もちろん、済州島四・三事件にせよ台湾の二・二八事件にせよ、占領下の日本の責任を問えるはずもないが、それとは別に歴史の文脈に照らして、無関係とは言えない、ということ。)
俺は、「日本の現代的なナショナリズムや右翼」と書いたが、これは具体的には在特会を意識していた。在特会右翼団体と言いたいわけではなく、現在の日本によく見られるナショナリズム的な言説のある種の典型と思ったからだ。こう言った言説は、歴史の文脈をきれいさっぱり無視している。上で引用したような「一応歴史を踏まえてますよ」という文章は、よくある自分の主張にとって都合のいい箇所をつなぎ合わせただけのもので、歴史観などというものはないし、特に見るべきものはないが、得てしてこういった文章は特定の人たちの心を掴んでしまうものだ。問題にしているのは「今」だけで、ややこしいことを考えずに済む。見方によっては、スマートとかスタイリッシュに見えないこともない。が、それはまた別の話。
とにかく、こういう現代的なナショナリズムを自説に採用する人にとって、「日本人」というものは確固とした存在であるわけで、「広義の日本人」などという考え方は受け入れられないだろう。
逆に、「左翼」はどうか。日本の左翼というのは「中国や韓国のナショナリズムに親和的」だ、と俺は書いた。なぜかと言うと、左翼の歴史観というのは「敗戦=帝国主義日本の敗北、そしてそれからのアジア諸国家の解放」というストーリーに基づいているものだからだ。だから、それらの国でのナショナリズムの昂揚は、帝国主義日本を敗北に追い込んだものと同一視され、しばしば喜ばしいものとなる。しかし、中国にせよ韓国にせよ、それらの国のナショナリズムが「広義の日本人」などという言葉を受け入れるはずがない。そこから、日本の左翼もこのような考え方を受け入れることはないだろう、と思う。
finalventさんのエントリに対する反応の幾つかは、見事にそれに該当してしまっているようにも見える。
結局のところ、finalventさんのおっしゃるとおり、左右のどちらもナショナリズムとそれを転倒させたナショナリズムでしかないのか。
俺が思うに、この「広義の日本人」というのは歴史のある時期の限定的な現象であって、現代に当てはめてみてもよく分からない、というか現代においては無効になってしまった概念だろう。ただ、イデオロギーの対立の外で、その歴史を生きた庶民にとってはごく普通の感覚であったとしてもおかしくはないと思う。これも既に書いたが、「人情」として。

*1:「親和」のタイプミス