ちょっと前に『ノーカントリー』を見ましたよ。

実際に見たのは、先月末ぐらい。感想をちゃんと書きたいと思っていたのだけれど、なかなか書けなかったのだ。
コーエン兄弟の映画は、他に『オー・ブラザー!』と『バーバー』と『ディボース・ショウ』を劇場で見たのと、まだ実家に居るときにケーブルテレビで『未来は今』を見たぐらいか。『ファーゴ』とかよく薦められるので見てみたいとは思ってはいるけれど、ま、そのうち。


ノーカントリー』公式サイト→http://www.nocountry.jp
アカデミー賞を取ったというのも見ようと思った理由の一部ではあるけれど、なんとなくこれは「変な映画」っぽいな、と感じたというのが大きい。しかし、見終わってから「これは『変』どころじゃないな」と思わされた。というか、どう考えていいのか非常に混乱させられた。
原題は『No Country For Old Men』。
あらすじは公式サイトを読んでもらえればいいかと思うのだけれど、自分なりに整理するためにも、ちょっと書いてみる。(ネタバレが嫌いな人は注意して下さい。)


舞台は1980年ごろのアメリカ。テキサス州とかそこら辺の砂漠地帯。
映画は、ハビエル・バルデム演じる殺し屋アントン・シガーが警官(保安官)に拘束されパトカーに乗せられるシーンから始まる。次のシーンで警官はシガーに殺害される。シガーは、警官が電話で話している間に背後から手錠をかけられた両手を相手の首にかけ、そのまま手錠の鎖を使って絞殺したのだ。その後、シガーはパトカーを奪って逃走。途中車を乗り換えるときも、その車のドライバーを殺している。
とにかく、この殺し方に躊躇が全くない。怖いと言えば怖いが、ちょっと奇妙な印象を受ける。観客として感じるのは恐怖ではなく、困惑だ。言葉が通じない相手と対峙したときに感じるような。
一方、ジョシュ・ブローリン演じるルウェリン・モスは鹿討ちハンターだ。彼は砂漠の真ん中で、偶然、ギャング同士が撃ち合いをした後とおぼしき現場に出くわす。モスが見つけたのは、現場に残された数人の遺体とヘロイン、死にかけた男、そして200万ドルという大金。彼は200万ドルの金を奪ってしまうが、死にかけの男を放置してしまったことに対する良心の呵責から、その夜、現場に舞い戻る。しかし、マフィアとおぼしき連中に見つかり、追われる羽目になる。モスは散弾を浴びながら、からくも逃げおおせたが、車を現場に置いてきてしまった。そのため、モスの身元が割れるのは時間の問題だ。
マフィアはシガーに、200万ドルを取り戻すよう依頼する。こうしてモスとシガーの逃亡と追跡が始まる。
これに、トミー・リー・ジョーンズ演じる保安官エド・トム・ベルが絡んでくる、というのが大まかな流れだ。一応、主演はトミー・リー・ジョーンズということのようだが、狂言回し的な役回りに思える。原題にあるOld Menを体現する一人と考えてもよいのだろうか。どうでもいいが、この人を見るとコーヒーのCMを思い出していかんな。
物語の結末がどうなるか、それは自分の目で確かめてほしい。既に見た人なら、あらためて書くまでもないか。



さて、何を書こうか。
ハビエル・バルデムはこの映画の演技でアカデミーの助演男優賞を受賞したが、あー、これは賞取るわ、あげたくなるわ、という怪演ぶりだ。
広告コピーに「純粋な悪」という言葉があったが、作り手はむしろ「悪」というものそのもの意味やそれについてのイメージに対して、強烈な揺さぶりをかけようとしているように思える。シガーという人物は、普通の映画の悪役とは大分違う。彼は自分の中のルールに対して、とことん忠実であろうとする。それは、彼なりの哲学とか美学から来ているのかというと、どうもそうではなさそうだ。正直なところ感情というものを読み取れないし、その奇妙に思えるルールは理解しがたい。しかし、ではモスが感情を持たない冷血人間なのかというとそうでもないように感じる。
この人物に対して、僕は、前述のように恐怖などよりも、困惑を覚える。シガーは、徹底的に異物なのだ。異星人か異世界から来た者に思えるほどに。社会のルールや常識は通じない。つまり、言葉が通じない。彼には彼なりの筋道があり論理があり、ルールがあるが、仮にそれを理解しえたところで、彼と対峙する人間が助かるとも思えない。シガーから逃れようとするならば、シガーとは出会わないことだ。
ところで、ジョシュ・ブローリン演じるルウェリン・モスが、ウッディ・ハレルソン演じる「もう一人の殺し屋」カーソン・ウェルズと対面するシーンがある。ウェルズはシガーを雇ったマフィアのボスが、シガーは信用できないとして別に雇った人物だ。モスとウェルズは互いに自分たちがベトナム帰還兵であることを打ち明けあう。
あぁ、ここにもベトナム戦争が出てくるのか。アメリカ映画はいまだにあの戦争を引きずっているんだな、と思わずにいられない。『アメリカン・ギャングスター』という映画もそうだった。あれは、ベトナム戦争をだしにして、ある意味戦争を食い物にしたヘロインのディーラーの物語という側面があったが、『ノー・カントリー』の方は、その戦争で実際に戦った者たちのその後を描いた作品という側面を持つ。
ここまで考えると、シガーという奇妙な人物も(モスやウェルズと同年代と思われるところから)ベトナム帰還兵なのではないか、と想像できる。それが正しいかどうかは知らない*1。それに、ベトナム帰還兵だからなんなんだ、という気もする。けれど、あの戦争がいまだにアメリカの大きなトラウマである、というのはそうなんだろうとは思う。
この映画の登場人物たちは、倫理的道徳的に見て、皆少しずつ「悪」だ。モスは自分のものではない大金を盗み、ウェルズは殺し屋だ。保安官のベルは彼なりの正義を持ち続けているが、その正義感は「殺された者がアメリカ国籍を持つ者かどうか」に左右されるといった程度の、ある種の現実主義に基づいた正義感でしかない。そして、それはそれで当たり前なのだ。人間は、たいてい少しずつ「悪」を持っている。でも、シガーだけは異質だ。異質すぎて、それが「悪」なのかどうかさえ曖昧に思えるほどだ。


ふと、この映画の原題が『No Country For Old Men』であることを思い出す。
物語の終盤、トミー・リー・ジョーンズ演じるエド・トム・ベルは、保安官を引退することを選ぶ。引退を決意する直前からその後の生活にかけて、ベルは常にため息をついているかのような、無力感を噛みしめているかのような表情を見せる。あるいは、諦めをただぼーっと受け入れるしかない、とでも言いたげな表情を。希望はあるだろうか。ただ時代は変わっていく、ということなのか。


正直言って、ここまでもっともらしいことを書いてきたけれど、いまだに僕はこの映画がよく分からないままだ。何か結論めいたことは、実は何もない。あるのは、困惑だけだ。
付け足しのように書いておくと、面白いかつまらないかと問われれば、普通の会話なら、まー面白くはあったよ、と答えるだろう。「考える映画」が嫌いな人にはお薦めしない。でも、「考える映画」が大好きな人にもお薦めしにくい。考えても考えても分かんないんだから。

*1:ひょっとしたら、原作の小説にそこら辺の記述があるかもしれないが。