こういうのって、なんなんだろ。

こういうの↓

man 2008/02/19 15:44
落ち度があれば加害者が肯定されるというわけではありませんが、被害者に落ち度というのが存在しないというのもおかしな話ですね。
性犯罪を特別視しているようですが、性犯罪以外にも、鍵を開けっぱなしにしたまま外に出たら、泥棒にあったとき被害者の落ち度が問われるのは当然ですよね?鍵を開けっぱなしにすると泥棒にあう確率が高くなる事を知ってて開けっ放しにしたわけですから。
それと同じで、被害者に落ち度は絶対にない、というのはおかしいです。

『日本人男性の未熟な性の問題。 - マ儿コの日記 - + - +』のコメント欄

そもそも、性犯罪と窃盗を同列視している時点でどうなのか、という気もするけれど、それは、まぁ、いい。
問題は3つ。(とは言え、「第1」が一番重要で、他の2つは付け足しに過ぎない。)
第1に、「被害者の落ち度」というが、それがはたして本当に落ち度と言えるのか。世間の風潮や人々の認識の方にこそ問題があって、落ち度とは言えないものまで、落ち度であると思い込んでいないか。Marco11さんはまさにそのことを指摘している。「おかしな貞操観念は本当に百害あって一利なしである」と。また、Marco11さんが次のように指摘していることも、まさしくその通りだと思う。

暴力の被害者には落ち度などない。強者の暴力というのは絶対である。暴力を抑止する法や警備の威力が及ばない場所において結果は常にシンプルだ。物理的戦略的に強いほうが弱いほうを蹂躙する。それだけである。力関係の結果としての性犯罪である。原爆持ってる相手に勝てないのと同じだ。なぜそれがわからないのか。

被害者の落ち度とされるものに一つ一つ反駁することもできるが、ここでは簡単に。犯罪(暴力・性犯罪)の被害にあうのは、落ち度があったからではない。そんなものがあろうがなかろうが、被害にはあう。被害にあう理由があるとすればたった一つ、「弱かったから」だ。それは落ち度なのか。まさか。
第2に、「被害者の落ち度」が実際に問われうる社会的な場面とは何か。それは裁判であり、法廷である。そこでは加害者(被告)は、自らの主張するところを述べることが出来る。「被害者に落ち度があったためにこのような事件が起きた」と言う者も居るだろう。それを判決に当たって考慮に入れるのかどうかは、裁判官にかかっている。そのような主張に妥当性があるかどうかは個別的に問われるものであり、部外者・非当事者がそれを一般論であるかのように気安く言及するのは、批判を受けても仕方がない行為だろう。(言及するなとは言わない。言いたいが、言っても意味がない。しかし、言及するならば遠慮なく批判するかもよ、と。)まして、それが政治的な対立が背景にあり、それを有利に進めるために利用した言説ならば、最悪だ。これ→http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/080212/plc0802122007008-n1.htmとか、これ→http://hanasan.iza.ne.jp/blog/entry/481804のような。今気付いたけど、これも最悪だな→http://hanasan.iza.ne.jp/blog/entry/483822/
第3に、もう何度か書いたことだが、仮に「被害者の落ち度」があったとしても、それを指摘することに何の意味があるのか。そのような指摘をしたところで被害は全く回復されないし、結局のところ被害者を責めることにしかならないし、無用な罪悪感をさらに植えつけることにもなりかねない。言及する者は、事実を指摘しているだけという認識しかないかもしれないが、無意味な指摘だし、そのこと自体がセカンドレイプとして批判されている。防犯意識を喚起するためという理由があるとしたら、それはさらに悪い。防犯を説くのに現実のしかも進行中の事件を引き合いに出す必要は全くない*1。たとえ、事件が性犯罪でなくmanさんが言われるような窃盗事件でも、ことは同じだ。鍵を開けっ放しにした「落ち度」を指摘して(なじって/責めて)も、被害は戻らない。被害にあった人を貶めることにしかならないのは、ちょっと考えれば分かるよね?

*1:追記:「防犯を説く」にしても、その内容がはたして効果的なものかどうか、という問題もある。夜出歩かないとか、知らない人についていかないとか、もっともそうだが、きちんと検証されているのだろうか。