大きなお世話なひとりごと

あえてリンクとか張りませんよ。
セックスが気持ちいいとか、セックスができて幸せだとか、というか、セックスをすることによって幸せを感じられるというのは、ま、いいことなんじゃないかと思う。
ブクマには「恋愛は何でもあり」って書いたことがあるし、ここのブログでは「他人の恋愛論は役に立たない」ということも書いた。
某アルファな方によると、「恋愛は無意識、出会いは運命(啓示)」らしい。無意識ということは、意識によってコントロールができない領域ということだろう。(厳密な話をし始めると違うかもしれないが。)ということは、恋愛論に限らず、他人の言葉は当事者にとってはますます無意味だ。無意識に働きかける言葉というものは存在するかもしれないが、そういうものでなければ、何しろ当人にとってもどうにもならないものなのだから、参考にしたり役立てたりできる他人の意見なんかありえないだろう。
だから、他人の恋愛についてこれ以上何か言及することはやめておく。


でも、恋愛ではなくて、セックスについてなんだけれど、これも他人のセックスについてとやかく言うのは気が進まない。そうではなくて、セックスと幸せの関係なんだけれど、これがイコールで結びついているうちは文字通り幸せなんだろう。言葉がおかしいが気にせずに続けると、これがイコールで結べなくなる時が必ず来る。それがどういう形で来るかは人それぞれとしか言いようがないし、まれにそうはならない人もいないとも限らないが。しかし、というか、だから、世の中に当たり前のように存在するというカップルが、そのような幸せなセックスをいつもいつもしているかと言えば、そんなわきゃない。というようなことは、セックスを経験してさらにそれを重ねていくうちに、嫌と言うほど感じることだろうと思うので、ほんとに大きなお世話だな。
大きなお世話ついでに書いておくが、セックスで孤独を慰めることはおすすめできない。というか、慰めることはできないと思う。むしろ、それを通して、孤独を確認するものなんじゃないだろうか。それに気づいたときに、なお自己を保てるかどうかが、その後の人生を分けるような気もする。それに気づかないふりをするのがたぶん最悪。だったら、セックスなんか死ぬまでしなくてもかまわねぇ、ってのも一つの選択だろうけど…、ま、なんというか、言葉に詰まる。
恋愛の延長線上にセックスとか結婚とかがあると考えると、なかなか苦しいものがあるけれど、それらは別に一直線上にあるわけではない。つまり、順序が入れ替わるのも全然あり。互いに全く結びつきません、ということもありうる。それと、その当人が幸福かどうかはまた全く違う次元の話。不幸な人も結構いる。
だんだん話がグダグダになってきたところで、例によってまとめずに終わる。