思わずスターを3つ付けちゃったじゃないか!

2007年11月16日 tetracarbonyl thinking 自分にレッテルついたらカッチョイイじゃん。赤い彗星とか呼ばれたい。

はてなブックマーク - 理系/文系女子について語るのが流行ってるのか… - 23mmの銃口から飛び出す弾丸は

いやいや、ちょっと待って、ちょっと。「赤い彗星」って、それ、レッテルじゃないから(笑)。いや、お分かりだとは思いますけど。


……で、終わらせてもいいんだけど、もうちょっと真面目に考えてみると、「赤い彗星」というのは、特定の個人に付随する呼び名ですよね。通り名とかニックネームとかあだ名みたいなものに、さらに、相手に対しての畏怖とか畏敬の念を込めた尊称の趣がありますね。
でも、レッテルって、「理系女子」にしろ「普通の女の子」にしろ(あとは、不良・ヤンキー・DQNとかオ(ヲ)タクとかサヨクとかネットイナゴとか、いろいろありますが)、その個人のある属性にのみ着目して分類してしまう言葉ですよね。その相手自身の個性を見ずに、一般化してしまう。
赤い彗星」と言ったら、『ガンダム』についてある程度知っている人にとっては「あの人」のこと以外意味しないわけで、けっして、「赤い色の乗り物を好み、顔の上半分をマスクで隠している人たち一般」を示す言葉ではないのです。
だから、「赤い彗星」と呼ばれて嬉しいかどうかはまた人それぞれですが、少なくとも、その人自身の個性を認められていることになります。それに対し、上に挙げたようないわゆる「レッテル」を貼られるということは、ある属性を持ってのみ分類され、そのカテゴリーの中で一般化して語られてしまうということなので、両者はそれぞれ全然違うことなわけです。
分類それ自体は便利だし、やってもいいとは思いますけど、そこに何らかの価値判断を持ち込むのはちょっとやめてほしいし、自分でもやらないように気を付けていきたいですね。なかなか難しいですが。