弁護士の仕事って、

「正義」とはあんまり関係ないと思う。弁護士の人自身が、正義感に溢れる人であることはあるかもしれないけれど。
基本的には(刑事事件における)弁護士の仕事は、法律の知識に(検事や裁判官に比して)疎い被告をサポートすることのはずだ。被告にとって何が利益となるのかを最優先に考えなくてはいけない、というのは当たり前のことで、そういう仕事なんだ。だから、弁護士の人自身の正義に照らして、被告の主張しようとすることが納得できない場合においても、仕事としてそれをこなさないといけないことだってあるだろう。
もちろん、弁護士の人にだって仕事を選ぶ権利があるわけだけれど(本当に嫌な仕事なら依頼を断ることもできるはず)、だからといって、引き受けた仕事全てについて完全に納得しているとは限らない。仕事として割り切っている(割り切るしかない)部分もあるんじゃないだろうか。
で、それは仕方ないことだと思う。
例えば、僕が何らかの事件の被告になったときに、僕の選んだ(もしくは国選の)弁護士が僕の主張通りに法廷で闘ってくれなかったら、ものすごく困るもの。もちろん、僕の主張通りに争ったら100%負ける、ということであれば、違った戦術を提案するのも弁護士の役目だろう。でも、その場合でも、僕の了解もなしに勝手に進められては困る。僕が、弁護士の方針に乗れないと思えば、やはり僕の主張通りに闘ってもらわなくちゃいけない。(この時点で、他の弁護士に変えてもらうこともありうるだろうが。)
何が言いたいかというと、世間の常識から見て、どんなに荒唐無稽の主張であろうと、被告人がそのように主張するのであれば、弁護士はそれに沿って活動するのが仕事なんだよね、ということ。


裁判のニュースなんかで、「弁護側」が○○の主張をしました、というような言葉がしょっちゅう聴かれるけれど、僕はその言い方はおかしいと思う。「被告側」と言うべきなんじゃないか。
裁判というのは「原告」(刑事事件のときは検察とイコールになるけれど)と「被告」の間で争われるはずのもので、それを検察VS弁護士の図式に落とし込むのは事実を見誤らせるのではないだろうか。被告側の主張がおかしければ、批判・非難を受けるべきなのは被告本人ということになるはずで、それを弁護士自身の個人的主張であるかのように読み替えて批判するのはちょっと詐術的な匂いがしないでもない。


裁判は、原告(検察)と被告の間で争われる。弁護士はその被告をサポートする。裁判官は原告と被告の双方の主張や証拠などから、事実がどうであったかを判断し、判決を下す。僕は法律を専門的に学んだことはないのでひどく大雑把なことしか言えないのだが、この理解はそんなに間違っていないと思う。
人権派弁護士」という言葉が独り歩きしているような気がするのだけれど、人権派であろうがなかろうが弁護士であれば、被告の主張をそのままに代弁するのが仕事のはず。そもそも制度がそのように作られている。
だから、被告の主張に対する批判を、弁護士への批判に摩り替えないで欲しいと思う。弁護士が世間からの批判や圧力に対して膝を屈するようなことになれば、この国の裁判はもうお終いだ。*1


で、これのことなんだけれど→http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/979079.html
確かにこの事件では、僕の記憶では一審も二審も、事実関係での争いはされていなかったはずだ。しかし、今回の差し戻し審では、「被告側」は事実関係での争いをする構えのようだ。そのことに対して、これまでの裁判の積み重ねを無にするつもりかとか、露骨な裁判の引き延ばし戦術だとか、被害者遺族に対してなおも酷な仕打ちをするのかとか、様々な批判があると思う。僕もその批判自体は理解できる。でも、その批判が弁護士たちに向かうのは何故なんだろう、とも思ってしまう。
被告の弁護団の中心人物(安田好弘氏)は、たしかに著名な死刑廃止論者ではある。しかし、彼(彼ら)がそういう自己の信念を実現するために、このような無茶な(ように思える)主張をしているとは考えにくい。死刑を回避するためだけなら、誰かも指摘していたと思うが、事実関係では争わずにひたすらに情状酌量を狙って主張した方が有利なはずだ。でも、そうしなかったのは、これがやはり被告自身の主張によるものであるということなんだろう。*2
僕は、今回の裁判の被告側の主張を、死刑廃止論者の弁護士が被告の死刑回避のために事実を捻じ曲げようとしている、と解釈するのは違うんじゃないかと思う。ただ思うというだけで、本当のところはよくわからないし、間違っているかもしれない。
あと、被害者(遺族)への救済についてなんだけれど、これは、もう既にいろんな人が言われているように、あまりにも今までが策が無さすぎたし、今でも不十分だと思う。そっちはそっちで早急に手を打つべきなのは、今さら僕なんかがあらためて書くまでのことでもない。

*1:もちろん、正当な批判までしちゃいけないとは言わないが。

*2:安田氏は以前に雑誌や新聞などで、「調書などの資料を読むと、この事件は殺人ではなくて傷害致死である可能性がある」と話していたことがある。それを思うと今回の裁判での主張も(安田氏が、それをある部分においては事実とみなしているかもしれない、という意味で)理解できる。問題は、一審でも二審でも被告側はそのような主張はしなかったことだが、そのときの弁護士が(言葉は悪いが)無能だった、ということなんだろうか。いずれにしろ、これは今後の裁判の推移を見守るしかしようがないことだろう。