死の匂いが、今よりもっと身近に感じられた頃
7月27日の日記で、「『死』を身近に感じない」と書いたのですが、それからいろいろ考えてみて、これはちょっと違うな、と。僕が身近な問題として捉えることができなかったというのは、澁澤龍彦が小説の中で描き出した独特の「死生観」を、身近に感じられなかったというだけのことなんじゃないか、と。(でも、いずれはこの「死生観」を身近に感じられるんじゃないか、とも思っているわけで、そう単純なものでもないんですが。)
ただ、一方で、現在の僕自身が「死」を身近な問題として考えているのかというと、それもちょっと微妙というか。10代くらいのときの方が、今よりはるかに「死」が身近にあったような気がするんですね。
で、昔(小学生か中学生のときに)読んだ『影との戦い』を、最近読み返して。↓
- 作者: アーシュラ・K.ル・グウィン,Ursula K. Le Guin,清水真砂子
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ここで描かれる少年期のゲドの葛藤は、僕もまた潜り抜けてきたものなんじゃないか、そんなふうに思えたんです。ゲドが戦った「影」は、僕の中にもあったものだ、と。
今の僕は、自分が自殺しない(または、できない)と“知って”います。(遠い将来に渡ってもそうだ、とは言いません。)でも、思春期の僕にとっては、それはそんなに自明のことではなかった。自殺ではなくても、「自分の命が失われること」にはある種のリアリティーがありました。死の匂いのようなものが感じられ、死は自分と背中合わせに存在しているものなんだ、という実感があった。いや、今はなくなった、というわけではありませんが、10代の僕には濃厚にそれがありました。言ってみれば、それが僕にとっての「影」だったのかもしれないな、と。
その後のいろんな経験を通して、僕が「影」の問題を解決できたのかどうか分かりませんが、まぁ、とにかく僕はここにこうして居ます。
たぶん、今は僕にとっての「死」の意味が変わってきているところなんだろう、と思います。「『死』を身近に感じない」のは過渡期に過ぎないのかもしれません。これからは、以前とは全く違った意味合いで、「死」を身近に感じられるようになるんだと思います。だって、それはどんどん近づいてきているのですから。
そして、10代のときに感じた死の匂いを懐かしく思い出すのも、今日のこの日記とは全然違う意味を持つようになるんでしょうね、きっと。