社会の「底辺」を見る

どのくらい「底辺」かというと、「ニートなんて養ってくれる人がいるんだから、ほんと恵まれてるよねぇ」とか、「ブログなんかで自分のダメ人間ぶりをアピールしてる人なんて、一般生活を営んでるんだから、全然ダメじゃないじゃん」とか言えちゃうくらい。ま、世の中下には下がある、ってことです。
あんまり詳しくは書けないのですが、僕はまだそれほど長くはない人生の中で、そういう「底辺」をいくらか見ました。(僕自身が「底辺」に居たという意味では必ずしも無いです。)
そういう中で、ほとんどの人に共通することがあって、それは「プライド」というものの取り扱い方。(というか、生き方そのもの、かな。)
簡単に言うと、「最初になかったことにできるのはプライド。でも、最後に残るのもプライド」ということ。
別の言い方をすると、前半は「プライドじゃ飯が食えん。だから、とりあえず生きるためにはなんでもやるしかないぜ」ということで、後半は「そうは言っても、プライドはなかなか捨てられない。他のものをすべて(財産・家族・友人等も含む)を失っても、捨てられないのがプライドなんだよね。なぜなら、それが無ければ自分を保てないから。それくらい追い詰められているから」ということ。
だから、他人のプライドは最大限尊重しなくてはいけない、そんなふうにこの頃思うのです。