太宰治と私

そもそも、太宰治自体があまり好きではないし、読んだ事のある作品を指折り数えても、片手で事足りるだろうけど、そういえば、大学時代にゼミの発表で太宰の『斜陽』を選んだ人がいて、当然、そのゼミの受講者はその作品を読んでいないと話にならないのだが、そのときも読まずじまいだったし、というか、ちゃんと読むつもりで、文庫本を購入してもいたのだが、読み始めて数ページで寝てしまって、その後も何度かチャレンジしてはみたが、やっぱり眠くなってしまうので、結局読むのをやめた*1のであって、そういう僕だから、太宰の『女生徒』なんて読んでいるはずもなく、青空文庫で少し読みかけても、やっぱり読んだ記憶も無いし、それでも、昨日と一昨日の日記で「見覚えがある」とか書いたのは、きっと、これは受験勉強のときに、問題集か何かの例文で見かけたせいだろう。(だらだら数珠つなぎ文終わり。)

で、その『女生徒』全文を青空文庫からダウンロードして、プリントアウトもして、少し読み始めた。やはり、読みづらい。そして、僕は太宰の何が嫌いだったかって、文体が好きではなかったのだな、ということに気付く。
なんというか、まわりくどいのだな。言葉遣いは平易だから、そんなに難しくはないけれど、読んでいるうちにイライラしてくるのだ。
でも、せっかくなので、『女生徒』は読んでみようかな。読み通せるかどうか自信がないけれど。
上のだらだら文は、とくに意味はありません。

*1:当時僕は、『斜陽』を選んだ人に対して、内心「なんでこんなつまらない作品を選ぶのだろう。そんな作品選ぶほうが悪い」と思っていた。ところが、僕がそのゼミの発表で、安部公房の『箱男』を選んだときに、きちんと読んでいた人はその人ぐらいだった。以後、反省して考えを改めましたが、やっぱり『斜陽』は読んでません(爆)。