『考える生き方』感想

今年初めての更新ですね。もうすぐ3分の1が終わってしまいますが。
で、finalventさんの著書が刊行されたということで、だいぶ前に読み終わってはいたんですが、感想を、と。実は1ヶ月以上前に感想を書きかけていたんですが、書ききれていなかったんですね。(その時は山形浩生さんの書評に絡めて何か書こうかとも思ってましたが、それはやめ。 )

考える生き方

考える生き方

自分にとって、この本はどういう意味があるのか。たぶん、折に触れて読み返す本になりそうだな、という気がしています。
俺とfinalventさんでは19歳くらい年齢が離れているし、その人生に起きてきたこともだいぶ違います。それなのに、「ああ、これはまるで俺だな」と思えるようなことがいくつもあって、不思議な読後感でした。
俺自身のことを書くと、大学を卒業後、高校の非常勤講師を1年やった後、どう考えても教師には向いてないなとその世界から足を洗って、フリーターを2年半くらいやったあと、今の仕事(内緒)に就いたんですね。そこに至るまでの宙ぶらりんな感覚とか、今の仕事に就いてからのあまり思い出したくないようないろんな出来事なんかを、この本を読みながら、思い出したりしました。finalventさんが辿られた経過とはもちろん全然異なるわけですが、第1章の「社会に出て考えたこと」に書かれている転職の話から、「ああ、こういうこと、あるよね」と思えたというか。
第1章の話をもう少しすると、そこで「仕事というのは、つきつめると、『市民であるかが問われる』ということだ」という言葉があって、これが自分の人生に地味に効いてきそうだな、と感じています。
自分にとって仕事というのは「食い扶持を稼ぐ」というのが一番大きいわけですが、生きていくだけだったら、そんなに頑張らなくてもいいんじゃね、という考え方もあると思います。結局、人というのは「自分のため」だけにはそんなに努力したり頑張ったりできないもんだよな、というのが今の実感。それは、俺には養うべき家族がいるのでそのために頑張る、ということだけでもないんですね。自分の仕事が、社会に貢献している、簡単に言えば、誰かの役に立っている、そういう風に感じられることが大事だと思うんです。
それで、「市民」ということを考えた時に、自分が仕事に向き合う姿勢が問われる。例えば、商売をやるときに一番重要なのは「信用を売る」ことなんじゃないか、と俺は思っています。世の中には、その信用を売る詐欺もあるわけですが、まっとうなものを、まっとうなやり方で売り、それに見合った対価を得る、そういうことが自分の仕事のあり方に響いてくる。逆に、何かがまっとうでないと感じたとき、それを正せるかどうか、そこがポイントなんじゃないかと思います。それは単純な「正義」では割り切れない部分が大きく、難しいことではあるんですが、少なくとも自分自身の心の中では常に持っていたいことではあります。


と、この調子で書いていくと、長文になりそうなので、思いっきり端折っていきますが、家族のこと、沖縄のこと、病気のこと、勉強のこと、老いるということ、それぞれの章を読んで、いろんなことを考えさせられました。これからも考え続けていくことも多いと思います。自分なりに勉強して、深めていきたい部分もあります。


最後にひとつ。
大学での教育はリベラル・アーツ的なものを重視した方がいい、という趣旨の話が出てくるんですが、それはきっとその通りだろうと思います。俺はというと、リベラル・アーツをきちんと押さえていないなという自覚があるので、今から少しでも取り返したい気持ちが湧きました。
実はこの本を読むのに前後して、吉野裕子さんの『扇』という本を読みました。吉野先生という人は、50歳を過ぎてから民俗学に入っていった人です。『扇』という本の内容そのものもとても面白かったのですが、この本の最後に吉野先生自身が自分の研究の道程について書かれている文章が付いています。(ただし、これは『扇』が1984年に再刊されたときに付けられたもので、1970年の初刊時のものには付いていません。)
それを読むと、吉野先生は女子学習院を1934年に卒業されていて、これは現在の制度から見れば高卒くらいの学歴にあたるようなのですが、そのときに、既に文学や古典についての基礎教養をかなり身に付けていらっしゃったようです。その後、東京文理科大学の聴講生をされたり、戦後には津田塾大学を卒業(1954年で、既に38歳のとき)されているのですが、若い頃に身に付けた教養があったからこそ、年齢を重ねたときにそれが活かされた、ということなんだろうと。俺自身が吉野先生のようになりたいとか、見習いたいということでは必ずしもないのですが、リベラル・アーツを学んでおくことが、その後の人生を(精神的に)豊かにする、ということの一つの好例である、と思いました。

扇―性と古代信仰

扇―性と古代信仰


他にもいろいろ書きたいことがあるような気もしますが、とりあえずこの辺で。