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国旗とか国歌とか、だらだらと書く。

→『痛いニュース(ノ∀`) : 「日本の国旗・国歌がそんなに嫌いなら教員を辞めればいい」…埼玉・上田知事 - ライブドアブログ
→『はてなブックマーク - 痛いニュース(ノ∀`):「日本の国旗・国歌がそんなに嫌いなら教員を辞めればいい」…埼玉・上田知事
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→『はてなブックマーク - 時事ドットコム:「国旗・国歌、嫌いなら辞めよ」=起立しない教員に−上田埼玉知事
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さて、何から書こうかな。
まず、どうでもいいことだが、私立学校の教師の給料なんて一部の超有名校とか超進学校とかを除けば、公立学校よりもかなり低いよ。だから、教師志望の人の大半は公立学校に行きたがるんであって、その意味では、大まかに公立学校の方が私立学校よりも教師の質が高いはず、と言えない事もない。


で、今回の埼玉県知事の県議会での発言だけれど、普通に暴論だろうと思う。暴論も正々堂々と言えば正論に聞こえるのかもしれないが。
俺は埼玉県民ではないので、この人の知事としての評価は知らない。興味もあんまりない。

上田清司埼玉県知事は1日の県議会本会議で、県立学校の式典で君が代斉唱時に起立しない教員がいることについて「式典のルールに従って模範を示さなければならない教員が模範にならないようでは、どうにもならない」と述べた。その上で「そもそも、日本の国旗や国歌が嫌いだというような教員は辞めるしかないのではないか。そんなに嫌だったら辞めたらいい」と強調した。

時事ドットコム

ただ単に「起立しない」だけなら、式典の妨げになるとまでは言えないのでは。『痛いニュース』にしても、一部のブコメにしても、その辺でかなり拡大解釈されてる気がする。教師が生徒に自分の意見や思想を押し付けた、なんて話も元記事からは読み取れない。どうも、皆さんの脳内補完による拡大解釈によって、話がどんどんそれていってる気がしないでもない。
要するにこの話は、民間企業で言えば、社長が「俺の命令に従えない社員は辞めなよ」ということを対外的に公表したってことだ。それ自体は別にいいのだが、というか、そういうことなら、その辞職勧告なり解雇通告なりの根拠となる命令違反の内容が問題になるわけ。その命令が理不尽なものなら、従わなかったからと言って、辞めなきゃならない理由にはならない。
例えば、社長が社内の式典で「燃えよドラゴンズ」を起立して歌うよう社員に命令したとして、巨人ファンの社員がどうしても歌いたくないと言って起立しなかったら、辞職を勧められても文句が言えないねー、なんてことにはならないだろうに、と思ったりする、俺は。社員は、その会社での本来の業務をこなしていればいいというのが、労働問題としての一応の建前だ。
まー、でも、「内心は巨人ファンでも、そういう時には立って歌うふりぐらいはして見せるのが大人の対応でしょ」というのが、世間の「空気」なんだよね。実際。やれやれ。
問題は、「学校の式典で国歌斉唱の際に起立する」というのが教師の本来の業務に含まれるのか、ってことなんだけど、俺は含まれないと思うよ。埼玉県の県立学校の教員の就業規則がどうなってるかは知らんけどね。


そもそも、国立学校ならともかく、県立学校なら教育の主体は地方なわけで、別に学校の式典に国旗や国歌を絶対に使わないといけないもんでもないんじゃねーかな、とか考えたりする。そんなに親方日の丸に尻尾を振りたいのだろうか。それより、県の旗とか県の歌を使ったらどうよ、と。校旗と校歌だけでも十分じゃないかとすら、思う。
ま、「教育は文部科学省/国家が責任を持って行うべき」なんて言葉がまかり通ってしまうような状況じゃ、こういう考えはあんまり受け入れられないかもね。頼むから、国家が教育に直接介入してくるのはやめて欲しい、面倒だから。いや、これは別の話。


それから、俺は「教師は生徒の模範足るべき」なんてことは、全然思わない。逆に、教師なんかを模範として見てる生徒なんていないだろ、と。俺はむしろ、画一的な「教師の模範像」なんてものより「世の中いろんな人が居るんだなー」という人間の多様性を(身をもって)示してもらった方がいいよ、なんて考えてる。「世間では自分の主張を引っ込めないといけない局面が多いけど、公立学校の教師はそうでもないんだな」ってことも含めて。


この手の問題は、右の人も左の人もオクターブ上がった声で主張を始める人が多いけど、実際のところ、たいした問題でもなんでもないと思う。ってか、これを読んでるあなた、イデオロギー的な意味で学校の先生の言動に惑わされた記憶なんてある? 俺はあんまり記憶にないんだけどなー。「この人左翼っぽいなー」と思う先生は居て、しかもその先生と学校外でばったり会ったと思ったら、そこは赤旗まつりの会場だった、ってなことはあったけど、だからと言って、おれがその先生に思想的に影響されたわけでは全然ないし、当時の同級生たちにも別にその思想にかぶれて左翼運動に走っちゃったなんて奴はいない。というか、教師の影響力は、その思想性よりもパーソナリティにあるんであって、一部の政治家の方々や右翼の人たちが心配するようなことはないと思うよ。
だから、一部の教師が「式典で君が代斉唱時に起立しない」なんてことに、教育的な問題はあらゆる意味で「無」だ。
埼玉県知事にしろ、それに同調する人にしろ、結局のところ「自分の好きなものをけなされると、自分が否定された気になるから、不愉快だ」って言ってるだけじゃないかなー。(違ったら、ごめんなさい。)自分の好きなものの価値は自分で決めるもので、他の誰かが否定したところで、その自分にとっての価値は全く変わらないんだけどね。逆に言うと、いくら自分が好きなものでも、だからって他人にもそれに対して「敬意を絶対に払え」なんて強要はできないからさ。


あと、「国家」についてだけど、「国家を愛せないなら出てけ」ってのは無茶すぎ。「愛国心がある」=「国旗国歌が好き」じゃないし。仮に愛してなくたって、国家に貢献することなんていくらでも出来るよ。
また、左翼にとっては、国旗国歌に対する態度というのが一つの踏み絵みたいになってるような側面もあって、そういうのもくだらねーな、とも思う。左翼の究極目標は国家の解体じゃないのか。だったら、日の丸が他のデザインに変わっても、君が代が他の歌に変わっても同じことじゃん。「歴史を顧みて、日の丸・君が代を認めることは出来ない」ってのは、じゃあ、日の丸が富士山かなんかで、君が代が「さくらさくら」かなんかだったら、受け入れるの? 国家が教育に介入してくるのを看過しちゃうの? というか、そこらへんが日本の左翼はおかしくて、左翼も結局、国家主義者に成り下がってるじゃん。ま、俺は左翼じゃないからどうでもいいけど。
あとあと、言わなくてもいいことをあえて付け加えると、「自分が生まれた(もしくは住んでいる)国も愛せないのか」みたいな物言いは、「自分を産んでくれた親も愛せないのか」みたいな言い方に似てて不愉快だね。こどもは親を選べないし、国も選べない。ひどい親も、ひどい国も、いっぱいあるし、逆にいくら良い親でも愛せないことがあるように、どんなに良い国であっても愛せないこともあるだろう。あるいは、どんなに親や国を愛しても、相手に拒まれることだってあるわけで、愛ってそういうもの。でも、その親から生まれてきた、その国で生まれた、という事実そのものは変えられないから、なおさらね。