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臓器移植のことについて、ちょっとだけ書く。

日記

これを読んで。→『http://alfalfa.livedoor.biz/archives/51479305.html
ブコメ

nijuusannmiri 生命, 倫理, 医療, 社会 これは、その立場になった時でないと分からないよ、どっちにしても。その立場になった時に選択できる制度設計が大事なわけで。気になるのは、臓器提供しなかった親に対する批判よりも、した親に対する反感や蔑視。 2009/06/19

はてなブックマーク - 【閲覧注意】我が子の臓器提供できますか?:アルファルファモザイク

今回衆議院を通過した臓器移植法改正案のA案が、そのままで万全なものなのかどうかは別として、というか、いろいろ問題はあるんだろうと思うのだけれど、それとは別に、ちょっと思ったことを書く。
15歳未満のこどもにも臓器移植の道が開けそうになっている現状で、「自分のこどもが脳死判定を受けた時に、臓器提供できるか」という問いを立てること自体は意味があるだろうと思う。俺も考えていきたい問題だ。
ただ、気をつけておきたいのは、こうした問いは、やはり当事者にならなければ本当のところは分からないだろう、ということ。結局のところ、机上の議論に過ぎないんじゃないかと、俺は思う。その限界は踏まえておこうよ、と。人間には想像力という素晴らしい能力があるけれど、想像力は案外貧困だったりする。
で、ブコメにも書いた通りなんだけれど、いざそうした立場に自分が立たされたときに、その時の自分が望むように選択できるように制度が作られている必要があると、俺は考える。あくまでも「選択」だ。現時点では、日本国内では、その選択すら出来ない状況なわけだから。
そして、臓器提供をするにせよ、しないにせよ、それに対して他人がとやかく口を突っ込むべきではないとも思う。その「選択」はあくまでも当事者のもので、無責任な世間のものではない。
だから、脳死判定を受けた自分のこどもについて、臓器提供しないと決めた親に対しての批判なんて、あってはならない。当然のことだ。
しかし、俺が強く懸念するのは、臓器提供をすると決めた親に対する反感や蔑視だ。表立って批判する者はまずいないだろうと思うけれども、上のリンク先の記事を読んでも分かるとおり、臓器移植そのものに対する抵抗感や忌避感は世の中に根強いと思える。
そして、このエントリではそこまで深く踏み込まないが、この負の感情は、臓器提供を待つ親に対する反感や蔑視と、表裏一体のようにも感じられる。
実際、国内で脳死判定を受けて臓器提供をした人の遺族が周囲から偏見の目で見られる、と言う話も耳にしたことがある。伝聞なのでソースも示せないし、真偽不明だが、ありそうな話ではある。そんな話が「どうせデマでしょ」と切り捨てられない空気があるのは、どうも確からしい。
そんなことを考えると、少し憂鬱になる。法律は出来ても、移植医療の未来は必ずしも明るいものでもないのだろうか。


何が言いたいかというと、この零細ブログのエントリを読んでくれた奇特なあなたには、臓器提供をすると選択した親に対する反感、蔑視、偏見を、できれば持たないで欲しい、ということ。もちろん、臓器提供をしないと選択した親に対しても、だ。俺もそうしたい。