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孤独とか絶望とかについて、だらだらとひとり言。

久々にTwitterではなくて、ここで呟いてみたくなったので、書きます。
Twitterで、短い文章ばかり書いていると、長文の書き方を忘れて、いい感じに訳分からない文章が書けるんじゃないかと、って初っ端から意味不明なことを書いてますね。



んで、まぁ、孤独と絶望について書こうかと思うのだけれど、別に哲学とか思想とか関係ないし、俺がこう思う、ってだけで、他の人の参考になるのかは知らない。だから、これは自分語りでしかないよ、と予防線を張っておく、一応。



なんというか、俺は、全ての人間は孤独でしょ、ということが前提だと大分前から思っているのだけれど、世間の人はそうでもないのかしら、と思うことが時々ある。
俺の孤独を返せ』というはてな匿名ダイアリーのエントリを読んで、正直思ったのは、馬鹿じゃねーのか、ということ。孤独と「一人でいること」は別物だろう。現に、元増田は結婚して一人でいる時間がなくなったことを含めて嘆いているけれど、それがまさに孤独というものだろう。
孤独って、一人でいるときより、他の人と居るときのほうが強く感じる、そういうものじゃないか。
だから、孤独で苦しんでいるらしい人を見かけたら、「別に結婚したって、こどもが出来たって、孤独なんだよ」と心の中で思ってる、俺は。もちろん、喜びはあるし、幸せも感じる。でも、孤独というものは消え去らない。常に自分の中に居る。ま、通じなくてもしょうがないし、俺がおかしいだけかもしれない。
俺が孤独だと思っていることと、他の人が思っていることが違うのかな、ということかもしれない。



あと、絶望。絶望は俺の友だ。(しかし、諦めは敵だ、とも思ってる。それはまた別の話。)
逮捕前後に盛り上がった将軍様ことrealiste0氏のことを考えてる。本名を晒すのは俺の趣味ではないので、やめとく。
彼は、まぁ、簡単に言うと絶望していた。何に絶望したのかはよく分からない。報道で伝えられる彼の供述は例によってかなり端折られていて、なんというか、まぁ、たぶん、真実ではない。でも、それはどうでもいい。
俺に言わせると、彼は絶望が足りない。真に絶望した人間は、人を殺そうなんて思わないし、殺害予告もしない。彼は、元厚生次官宅を襲った人物について「俺が依頼したんだ」という様な事をTwitterで書いていた。また、文部科学省の職員に対する殺害予告についても「このようなことを書いていれば、それを実行する奴が現れる」というようなことも書いていた。彼のTwitterのアカウントは今は見られない状態なので、ソースは俺の記憶、ということになるが。
「なんだよ、自分でやる気もない、他力本願で、実行する馬鹿が現れたら『手柄は俺の物』って、どんだけ小物なんだよ」というのが正直な感想だった。だから、Twitterで、彼が逮捕される直前、俺に絡んできたときも、ほとんど相手にしなかった。彼が俺に対して「へたれ」だの「バカ」だの「不細工」だの、ま、他にもいろいろあったが、そうしたdisは、俺にとっては別に自覚のあることだし(だから、さほどこたえなかったし)、それ以前に彼独自の定義による言葉の数々は、俺には何も響くところが無かった。
世の不条理を官僚のせいにして、その官僚を頂いている国民は愚かだ、という彼の主張は退屈極まりないし、自分の正義に頑なにすがる様は、悪いけど滑稽だった。殺害予告をやらかした時は、「あーあ、やっちゃったよ」という以上の感想も無かった。
「革命」ということを口走ったときもあるようだけど、彼がそんなものを本気で信じて目指しているとは思えなかった。自分の「正義」に引っ込みが付かなくなってしまったんだろう、と思ってる、俺は。
暗殺やらテロやらで、彼の望む世界が実現するはずもないし、そもそも本気でそんなことをやる気などなかった。事実、彼は「ネタ」や「冗談」だと言っていたこともある。しかし、後から、ブログでもTwitterでもそうした発言は消してしまっていた。俺は、彼のその態度を揶揄していたけれど、追い詰めようとはしていないつもりだった。id:nomurayamansuke氏も危惧されているように、暴発してしまう危険性はあると思ったから。
その代わり、俺に「お前が醜悪な悪人ってことはその不細工な顔が物語ってるよ。俺の目はとても綺麗なんだがお前のは汚いな。」と言ってきたTwitterのポストを消したときは、さんざんいじった。ちょっと面白すぎたし。でも、大人気なかったな、と今は思ってる。別に後悔はしていない。反省はちょっとしてる。
彼は、馬鹿に見える俺に、さらに小ばかにされてる感じが嫌だったんだろうな、と想像している。そのせいで、彼がTwitter上で残した最後から2番目のポストには「23ミリは馬鹿」とか書いてあって、彼のアカウントが幾つかのサイトで紹介されたりもしていたので、たぶん俺のTwitterのアカウントにもアクセスが少しは流れてきただろう事は想像に難くない。自業自得なので、それは仕方ないが、軽く憂鬱だ。
それはともかく、realiste0氏はもっと絶望するべきだったんだ。もっと自分の絶望に向き合うべきだったんだ、と俺は考える。「殺す」だのなんだの口先で言っても何も変わらないし、本当に殺しても何も変わらない。自分が何かしでかしたところで、世間は何も変わらない。少なくとも、彼が望んだ方向には、絶対に変わらない。その絶望をもっと知るべきだ。
その上で、どうするのか。
絶望によって死んでしまうのはあまりにも悲しい。彼は呪いの言葉を他者に向かって投げ続けた挙句、自分に呪いをかけてしまった。その呪いを解いて欲しい。
俺は、カート・コバーンという人が大好きだけれど、自ら死を選んでしまった彼よりも、今も生きて歌い続けるエディ・ベダーやニール・ヤングを尊敬する。彼らの絶望を思うと、気が遠くなる。
でも、彼らは歌い続ける。
それで、少しはこのろくでもない世界がマシになることを祈りながら。
絶望を糧に生きていくことは出来る。人を殺すことなく戦い続ける事もできる。その程度には、人間は強い。
俺は、彼の思想は退屈だと思うけれど、そんな思想の存在なんて認めないぜ、とは思わない。ただ、彼にはこれ以上、他の人も、自分も、傷つけて欲しくない、と思ってる。ちょっと、偽善っぽいし、きれいごとだし、大きなお世話だし、偉そうではあるけれど。