よく分からない。

Twitterでも、RSSリーダーでも、児童ポルノ法改正の話題がいろいろ出ていて、(僕の)目につくものはざっと目を通したけれど、正直、そういうものを読めば読むほど、この問題についてどう考えたらいいのかよく分からなくなってくる。
内心の自由」ということと「表現の自由」という観点からすれば、今取りざたされている規制強化は行き過ぎだろうとは感じるのだけれど…。あと、アニメ・コミック・イラスト・ゲームその他のフィクションで、なおかつ現実の被写体が存在しないものまで規制対象に含めるのは、なにかきな臭いものを感じてしまうのもたしか。
ただ、規制が全く不要というわけではないんだろうな…。規制のあり方も議論の対象になっているのだろうか。まー、正直、やっぱりよく分からない。


一般論として、と、ちょっと逃げを打って書くけれども、「有害な表現」というものは存在すると思う。というか、全ての「表現」は、受け手に対して何かしらの影響を与えることを意図して作られているはずで、その影響が有害なものか無害なものかは常に紙一重だ。ただし、その表現から何を受け取るのかは、受け手次第だ。それは受け手が責任を持つべきことなんだろう。
受け手は、その表現が有害か無害か自分で判断しなければならない。というより、ある表現が有害か無害かは受け手の方で勝手に判断するから、お上なり政府なり司法なりが規制してくれるなよ、ということだろう。その表現に触れた結果どういうことになろうと、その責任は受け手側で持つから「表現」はそのままこっちに渡してくれよ、と。
その判断が未熟ゆえにできないだろうと思われる場合、要するに未成年には触れさせない、という種類の表現があるのはそれはそれでしょうがないが、基本はオールOKということにしてもらわないとなー、と思う。
たとえば、『ファイト・クラブ』なんて映画があるけれども、あれなんかすごく危険だよ。だって、テロを成功させちゃう映画で、しかも、テロリストを(一応頭のおかしい奴として描写しているけれども)見ようによってはすごくカッコよく描いているんだもの。少なくとも、犯罪者をすごくセクシーに描写している映画だ。あれを見てホテルの料理に小便かけた奴、絶対居るよ。現実にファイトクラブを作った奴だって、絶対居る。それぐらいインパクトやパワーのある「表現」なんだよ。そういうものは存在する。そして、僕はこの『ファイト・クラブ』って映画が大好きで、この間もDVDで再見して、やっぱり最高だなこれは、って感心してたぐらい。9.11以降のアメリカじゃ、この映画はもう作れないだろうけど。でも、この映画を見てバカやっちゃう奴は、この映画のせいなんかじゃなくて、やっぱり、そいつがバカだからなんだよね。そうでしょ。
それをさ、「この映画は人々に悪影響を与えるので上映・販売禁止する」なんてやられたら、つまんないじゃない。この映画を見てしまったために人生踏み外しちゃった人はきっと居るだろうけど、それも含めてその人の人生なわけで、表現に責任があるわけじゃない。その映画を見ちゃった運不運なんて、言い出したらきりがないし、僕だってこの映画見たけど、かろうじて人生踏み外してないわけだからさ。
というようなことを、つらつらと考えたわけだけれど、この僕の考え方が社会や世間に受け入れられるかどうか自信がないし、児ポ法絡みの話においても有効なのかどうかはなはだ心許ない。いや、きっとズレてるんだろうなぁ。


僕が言いたいのは、有害な表現だろうと、それを判断するのは受け手側なんだから、上からの規制なんてしてほしくないなー、ということに尽きます。繰り返しになるけれど、その判断ができない人(未成年とか)からはアクセスできないようにするってのは反対しないけれど、表現そのものを世に出せないようにしてしまうのはやめてほしい。それでも、表現そのものが犯罪の上に成り立っているようなものは駄目なんだろうけれど、いや、そもそも犯罪なんだから、それはそれで取り締まってよ、という話。
あと、アンダーグラウンドのものって、ほぼ間違いなく暴力団とかその手の人たちが絡むようになるから、そういうのも困るよね。