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何が問題だったのか、ようやく分かった。

他の人の日記 社会とか時事とか

『私たちは裁判所の決定よりも顧客と地元を尊重する - 地を這う難破船』
『思想ロンダリングと威嚇ロンダリング - 地を這う難破船』
上記リンク先の2つのエントリを読んで、例の「日教組の教育研究全国集会(教研集会)の全体集会の契約を、グランドプリンスホテル新高輪が一方的に破棄。東京高裁の仮処分決定も無視」という事件(というか何と言うか)の何が問題だったのかが、僕の中では随分クリアになりました。
僕は、この問題についてはあまり関心も興味もなくて、一体何がどう問題なのかさっぱり分からなかったのですね。契約を一方的に破棄したというホテル側の対応もなんだかなという印象がありつつも、「集会の自由云々」とか憲法を持ち出すのはちょっと筋違いなのではないか、とは思っていたのですが。

話は当該のホテルに戻る。憲法問題ではなく契約と信義の問題であり民民関係である。そして。民民関係において「右翼団体の街宣活動」が介在するなら、そのことを一方の当事者が公的に認めるなら。教研集会に際する「右翼団体の街宣活動」に日教組が同意するものではない。民民関係が、当事者ならざる任意の団体の意志的な行動により左右されるなら、それは集会・結社の自由の侵害ではないかも知れないが、明確に公共の問題である。ホテルのソ−シャルな公共性の有無とはかかわりなく。



「任意の団体の意志的な行動」が、民民関係において、そのような影響を与えることは、現在の民民関係の基盤にある市民社会とその相互的な信頼そのものを毀損する行為である。そのことにおいて、任意の契約関係における信義の問題とは限定し難いし、遵法精神をめぐる問題ですらない。諸個人間の自由な行動と相互的な折衝におけるフェアネスの問題。結局は引き合いに出すのだが。『ミンボーの女』において否とされたのは、まさにそのフェアネスに対する専横であった。暴力を背景にした威嚇をリソースとする。

私たちは裁判所の決定よりも顧客と地元を尊重する - 地を這う難破船

しかし、本当に問題だったのはそういうことではなくて。この問題をホテルと日教組の契約問題であると単純化してしまうと、別の問題を見落としてしまうことになりかねないよ、とsk-44さんは指摘されているわけです。
要するに、右翼団体のような「暴力」を背景とする団体*1による「活動」によって、市民あるいは民間人同士の契約*2が左右される状況を追認してしまうことになる、ということ。暴力を脅しに用いる輩の思う壺なんだよ、と。

「堤」も「日教組」も「主権回復を目指す会」も、具体的なコンテクストを括弧に括ると、契約と信義の問題となり、民民問題となりますね、その縮減が問題ですね、怖いですね、という話をしているのだけれども。思想問題を背景とする明示的な威嚇的行動が民民関係に影響を及ぼしその前提を脅かすことはまずいし、思想問題を背景とする明示的な威嚇的行動を、公共にかかわりなき民民問題と言ってのける、思想ロンダリングにして威嚇ロンダリングな発想は、もっとまずいし、公共圏に対する専横ないし否定以外の何物でもない、という話をしている。
(強調は引用者)

思想ロンダリングと威嚇ロンダリング - 地を這う難破船

↑こちらではさらに分かりやすく書いていらっしゃいます。
WEBを含めた世間では、「ホテルも日教組もどっちもどっち」的な言説があるようですが、それは「まずい」とsk-44さんは書かれていて、僕もそれに同意します。
ホテルと日教組の間だけの問題と捉えるなら、それは要するに「店と客」の問題でしょ、ということになる。それだったら、客が店を選べるように店だって客を選べるわけですよ。そこでは、いくら金払いのいい客でも店に迷惑をかける客は客ではない、というような理屈もそれはそれで正当性を持つわけです。契約上の問題はありますが、そこは賠償金を払うとかそのようなことで片がつくのなら、それでも構わないという判断を下すこともありうるわけです。そこに憲法問題が絡む余地はない。
しかし、「店と客」の他に部外者が関わってくるとなると話は違ってきます。その部外者は「その客は危険思想の持ち主だから物を売るな」と言っている。しかも、「暴力」を脅しに使ってくる。もともと、店としては客の思想など気にも留めていなかったが、この部外者の介入によって物を売りにくくなる。そして、実際に売るのをやめてしまった。これは、正常な「民民関係」を築くために前提となる「市民社会」を壊しかねないものではないか、と。
さて、話はややこしいですが、ここにおいても、なお店は客に物を売らないことを選べます。店が「危険思想」の持ち主に対して客扱いしないというのは、相手が例えば暴力団ならば、社会的にも許容されていますから。
けれども、この問題を「公共の問題」として考えるなら、店と客が健全な経済活動を行うための基盤(=市民社会)に対する、(思想的な問題はともかく)暴力を背景に威嚇する集団による挑戦というものに、どのように対処するべきかが問われることになるんでしょう。
もちろん、甘んじてそれを受け入れるという選択肢も存在するでしょうが、そんなの俺はちょっといやだ、とは思います。
それ以前に、右翼団体による「街宣活動」が実際にあったからではなく、その恐れがあるから(ほぼ確実にあるとは言え)断ったというホテル側の態度はどうなんだ、というのもちょっと思ったのですが、それはホテル側にとって少し気の毒かな、と。
で、実際のところ、どう対処すべきなんでしょうか。
そこのところは、まだ考えが整理しきれていません。はっきりしているのは、ホテルばかりを叩いてもあんまり意味がない、ということ。
警察をあてにしたいのですが、それにも限界がある。そこらへんをクリアするためには法整備が欠かせないでしょうが、それも行き過ぎると思想の自由を損なう可能性があって、難しい。
ただ、右翼団体にしろ日教組にしろ「うるさい連中だな。俺には関係ないところで迷惑かけないように勝手にやってればいいのに」というような態度だと、危ないかも。僕も少なからずそう考えているときがありますが、関係ない人を巻き込んで世間を誘導しようとするのがその手の団体の手口なわけですから、うっかりすると、こちらも足元をすくわれかねません。sk-44さんのおっしゃる「思想ロンダリングにして威嚇ロンダリングな発想」がまずいというのも、その辺りを危惧しておられる(部分もある)のかな、と思いました。

*1:その意味では、暴力団もカルトも新左翼もその他のテロ組織も同様。

*2:大きく考えれば、それは「経済行動」であり、私人間の(暗黙の)信頼関係にも関わる。