そこのところは切り離して考えたい。

さっき上げたエントリの関連でちょこっと。
こちらの記事を読んで。→むしろ女性は真の意味での「保護」を求めるべきである。もちろん男性もね - sjs7のブログ
と、その記事に付けたブクマコメント。↓

2007年12月26日 nijuusannmiri ジェンダー, 社会 「弱者男性…バックラッシュ」のところには共感。ただ、全体としては微妙。バリバリ働くことが良しとされ経済成長した社会だからこそ、弱者保護もできるようになったのでは?多様な幸福のあり方は認められるべき。

はてなブックマーク - sjs7のブログ@12/30西え-35bにてゆと部報頒布。僕も寄稿してます

うーん、こういうふうに書きましたけど、たぶん大筋としては、僕はsjs7さんの意見には賛成なんですよ。
ただ、気になったのが次の箇所。↓

でも、じゃあそうやってid:pal-9999氏が幸せの象徴として挙げた「経済成長」が本当に日本人を幸福にしたのか?

それこそ働きバチの様に、朝早くに出勤し満員電車にぎゅうぎゅう詰めになって会社に向かい、そして一旦会社に着いたら夜遅くまで拘束され、そして再び満員電車に乗って家に帰り、後は寝るだけ。休日も「つき合い」やら何やらで、自分の時間なんか殆ど持てない。そんな生き方を日本人の大半に強いた、「高度成長」が本当に幸せだったのかって、やっぱり僕は疑問なんですね。

ここで僕はふと「働きマン」というマンガを思い出します。といっても、僕はせいぜい第一巻をパラパラと立ち読みしてきただけなんですが、僕にはあのマンガの主人公の様な生き方―こそが、多分id:pal-9999氏にとっては理想なんでしょうが―が、人を幸せにするとはどうも思えない。もし、女性が抑圧から自由になるのが、あのような方法でしかなし得ないとするならば、「そんなことまでして自由にはなりたくない!」と言うのではないかと、そう思います。

pal-9999さんが高度経済成長を「幸せの象徴」としていたかどうかはちょっと疑問の余地があるとは思いますが、それは置いといて。あと、何が「幸せ」なのかを客観的に示すことはできないと言うか意味がないと思うのですが、それも置いといて。
こういう書かれ方はちょっと引っかかるのですよ。
僕は、日本が経済成長したのは、相対的には良かったと思いますよ。おかげでこの国では、子どもが餓死したり、栄養不足で病気になったり、医療が充実しているおかげで伝染病で人がバタバタ死んだり、本当にありがたいことに紛争や内戦で命を落としたりすることが、皆無ではないけれど、極めてまれになりました。そういう面だけ見ても、僕は、現代の日本に生れてよかったなと思えるメリットはたくさんあると思うわけです。もちろん、物質的な豊かさが、ある個人の幸せに直結しているかと言えば、そんなことは全くないので、その意味ではsjs7さんのおっしゃることはすごくよくわかるのですが、このような書かれ方だと、成長によって日本社会全体が享受しているメリットを見落としているように感じられましたので、あえて苦言を呈しました。
それから、日本社会が豊かであることによって、弱者に対する保護が充実する、という側面もあると思うのですね。日本という国家には、たとえ国が貧しくても弱者を保護する責任がある(憲法でそのように規定されている)のですが、その保護の内容が十分であるためには、ある程度の豊かさは必要ではないかと。なので、成長による弊害を指摘することはとても重要ですが、成長そのものを否定する(ように受け取れる書き方をする)のはちょっとまずいんじゃないかな、という気がしました。その辺は、出来れば分けて考えたいな、と。
あ、あと、『働きマン』は結構奥が深いので、もしよろしければ、きちんと読まれることをお薦めします。