男女間の社会的な歪みについての私見

こちらを読んで。→『フェミニズムと女の幸せ - pal-9999の日記』
で、その記事に付けたブクマコメント。↓

2007年12月26日 nijuusannmiri ジェンダー, 社会, 世間, 思想 ふーん。「愛と結婚は、女性の一大関心事で、これ以上に女性が関心をもつ話題になんて、他には、ほとんどない」←このような世の中を望む、優位の雄がそれを維持しているのが問題。非モテの苦悩もそこから生まれる。

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僕は、フェミニズムについてきちんと勉強をしたことがありませんので、外しているかもしれませんが、やや脊髄反射的に付けたこのコメントについての補足をちょっと。
「愛と結婚は、女性の一大関心事で、これ以上に女性が関心をもつ話題になんて、他には、ほとんどない」というのは上記のリンク先の記事の引用なのですが、そちらの要旨は「フェミニズムは『伝統的な/現在容認されている』女の幸せとは両立しない側面がある」ということだと思います。それ自体は、まぁ、そうかな、と思えないでもないです。なので、以下に書くことは、元の記事に対する批判とかを意図しているわけではないです。あれだ、インスパイア?


ブクマコメントでも書いたように、僕が問題だと思うのは、「愛と結婚は、女性の一大関心事で、これ以上に女性が関心をもつ話題になんて、他には、ほとんどない」という価値観がまかり通る世間や社会の方なんですよね。ここをまずどうにかしないといけない。逆にこれが何とかなれば、それに合わせた恋愛なり結婚なりの新しい枠組み/システム/制度が新しく作られていくんじゃないでしょうか。
で、そこで問題なのが、このような価値観を維持しようとする者の存在。それは一体誰なのか。女性たち? まさか。これは上にも書いたように「優位の雄(男性)」ではないかと。
つまり、男性優位主義を維持し、伝統的な女の幸せの価値観を維持しようとしているものは、優位の雄なんですよ、と。男性全体ではなくて、その中の、優位の雄ね。
優位の雄は、女性よりも男性が優れているという幻想を維持し、女性が自分よりも優れた男性を求めるという価値観を維持することによって、相対的に自分が求める女性を選択しやすい状況を作り出しているわけです。だから、優位の雄にとって、そのような都合の良いシステムを維持しようとするのは非常に合理的です。
ただ、この優位の雄からこぼれてしまう男性も当然居るわけで、それを仮に非モテと呼ばれる人たちだとします。非モテ男性が非モテである所以は人それぞれだと思いますが、女性が何らかの形でより(自分より)優れた男性を選んでいく過程で弾かれてしまった人たちである、とひとまず定義します。
非モテであることを苦にしないのであれば、それは特に不幸なことであるとは言えないと思います。しかし、非モテであることを不幸に感じ、苦悩するのであれば、その根っこの方に男性優位主義が影を落としている可能性は高いように思えます。(人間は孤独である、というところから来ている苦悩というものもあるでしょうけど。)まず、優位の雄に比べて、自分が(恋愛等の局面において)劣っていることに対する劣等感、さらに、男性優位主義の観点からすれば、自分より劣っているはずの女性たちから選ばれないことに対しての劣等感、まぁ、ルサンチマンとか「男として恥ずかしい」とか他にも言い方はいろいろあるんでしょうが、そのようなものが渾然となって苦悩を生み出している、という側面が少なからずあるのではないでしょうか。
ま、もちろん、それだけではないんでしょうけど。
でも、男性優位主義を取っ払ってしまえば、大分生きやすくなるとは思いますよ。実際、そのような価値観を持たない人は、非モテの苦悩とは無縁であるような気もします。結果として、そういう男性はある女性から見て好ましいと思われる確率が上がって…、という展開もあるようなないような。
だ、か、ら、たぶんフェミニズムは「女性のためだけのもの」ではなくて、そういう優位の雄ではない男性たちにとっても、男性優位主義からくる(モテ・非モテという枠組み以外にもある)抑圧や弊害をなくすために利用できるもののはずだと思うんですけどね。
ものすごく話を単純化してしまったので、いろいろ見過ごしている部分はあると思いますが、こんなところで。