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今日のひとりごと

書くことよりも、読むことの方がずっと難しいのかもしれない。
「書きたいように書くこと」は意外と簡単かもしれない。こぼれ落ちてしまうものに、目をつぶることが出来れば。
「自分が読まれたいように、書きたいように書くこと」は至難の業だ。ほとんど不可能ではないかと思える。そして、それは「自分の書いたことを誤解の全くないように読まれること」が、そもそもほとんどあり得ないのと一体のことだろう。
「誤解や曲解をせずに読むこと」は本当に難しい。本当に不可能なのかもしれない。でも、だからと言って「読むこと」を放棄するわけにはいかない。要は、どこで線を引くかだ。自分が読んでいるものをどこまで理解しえたか、どこでそれを良しとするか。
「読みたいように読むこと」が出来るなら、それはそれで素晴らしいことかもしれない。それが、自分の「読み」を誤解や曲解ではなく、様々な解釈の中の「一つの正しい解」として認識するということなら。もちろん、その「一つの正しい解」が唯一の正解であるはずがないが。


しかし、「読みたいように読むこと」なんて本当にできるのだろうか?
「読む」という行為はかなり受動的な行為だ。書かれたものに対して(感情なり理性なりが)どのように反応するのか。それを恣意的にコントロールすることが、はたしてできるのだろうか。できるとするならば、それは読み手が自分自身を欺いていることになりはしないだろうか。あらかじめ用意された「解」に、書かれたものに対する自分の反応を押し込むのは、欺瞞とは言えないだろうか。それは「嘘」が入り込んでいるのではないか。
欺瞞や嘘が悪いとは限らないが。


同じように「書きたいように書くこと」にだって、欺瞞や嘘が入り込んでいるのかもしれないな。
ただ、比較すれば、書く方は素材を選べる立場で、読む方はそんなに選べないよね。読む方にできるのは、ひょっとしたら「読むか読まないか」の選択だけなのかもしれないよ。