僕の話を聞いてくれ 笑いとばしてもいいから

2007年11月09日 mori-yoshiro うーん、全くわからん。そもそも、この歌詞をまじめに受け取って実践しても、その結果にブルーハーツは責任もってくれんだろ。責任を伴わない言葉ほど陳腐なものは無いと思うが

はてなブックマーク - 全てが陳腐化していく中で、今だに魂を揺さぶる名曲:ブルーハーツ - 分裂勘違い君劇場

責任を持ってくれるわけないでしょう。まぁ、これでも読んでみてください→『谷川俊太郎さんが答える「ふつうの言葉」と「詩の言葉」の違い』
ここでは、谷川氏の言う「詩の言葉」と「歌詞」を同じものだと考えますよ。そうすると、ブルーハーツが持つべき責任は「(その歌詞における)言葉の美醜、または巧拙」であって、真偽については責任がない。
言い換えると、ブルーハーツはリスナーに対して優れた音楽(この場合は歌詞)を提供する責任はある*1が、その音楽ないし歌詞の示す内容の真偽には責任がない。必然的に、その音楽ないし歌詞を聴いたことにより、リスナーがどう行動するかには、ブルーハーツに責任は及ばない。
要するに、その音楽ないし歌詞から、何を受け取り、どう行動するのかは、あくまでも聴き手自身の責任でしかない。
だから、僕がブルーハーツの音楽をそのままに実践して生きた結果、僕の人生がとても悲惨なものになったとしても、それは僕自身の責任だ。しかし、それはブルーハーツの音楽が陳腐であることにはならないし、その歌詞が「責任を伴わない言葉」であることにもならない。
当たり前のことだよね。

*1:何をもって「優れている」とするのかは問題ではあるけれど、少なくとも作り手の主観における「優れたもの」を目指さなくてはいけない。