愛は、確かに、奇跡。

『メモ - 愛は奇跡』を読んで。
もう少し早くリアクションしたかったのですが…。以下引用。↓

愛が取引できるというのは幻想だと思う。で、うまくペイしている状態は奇跡で、だから愛し合うって素晴らしい出来事なのだよ。

全くその通りだよな、と思います。
これは、aozora21さんが言及された僕の記事の一つ前の記事(『愛情は、金では買えない。愛情は、金銭的価値に換算できない。愛情は、取引できない。愛情を維持するのには、努力が必要である。しかし、それらは愛情の価値が、一般的に高いことを示しているわけではない。 』)とも通じるところがあるのかな、と感じました。
ただ違うのは、僕は「愛は奇跡で、だからこそ素晴らしいと言えるのかもしれない。でも、だからと言って、それ(愛は素晴らしいということ)を個人の価値観を超えて一般化してしまうのは、違うんじゃないかな」とも思っているわけです。
いや、僕にとっても、愛は素晴らしいものですよ。でも、そうは思わないって人も居て当然だし、それを僕は許容したい。aozora21さんも、それは理解されていると思いますが。
僕は、「愛は素晴らしい」という価値観を持つ人が、愛が手に入らないことを嘆いたり、愛を手に入れるためにどうすればいいのか悩んだりすることは、不毛なんじゃないかな、と考えてしまうんですね。嘆くこと・悩むこと自体は仕方ない、というか、良いも悪いもないのですが、もし、その状態がつらくて苦しいのなら、少し考え方を変えてみたらどうかな、という提案もあって、あの記事を書いたわけです。あと、「愛情は尊い」ということを、自明のこととして、一般化して語る口調には胡散臭さを感じます、という表明でもありました。
これは、差別のこととか売買春のことを個人的に考察する上で、僕としては避けては通れないことかなと考えて書いた、ということでもあります。その延長に『「愛情は取引できない」というのは、感情は取引できない、ということ。取引できるのは、「振る舞い」である。 』というaozora21さんに言及してもらった記事も連なります。一気に目的地には行けそうもないので、ゆっくり寄り道しながら書いている、という感じです。たどり着けるかどうかは分かりません。まっすぐではないけれど、方向はそんなに間違ってはいないと思います。