「差別する心」について

こちらの記事を読んで。→http://anond.hatelabo.jp/20070222222310
細かい考察などは抜きにして、脊髄反射的に書きます。自分のためのメモでもある。
「差別する心」が生まれる背景には、結局のところ、その対象についてよく知らない・分かっていない、ということがあるんだと思う。知らないから、不安や恐怖心が生まれ、それが差別に繋がる。
逆に、その対象についてよく知っていれば、そういうことは起こらないんじゃないだろうか。よく知った結果、「やっぱり嫌い・好きにはなれない」と判断することはあるかもしれないけれど、少なくとも、不必要な不安や恐怖心を持たなくて済む。嫌いなら嫌いなりに距離を置くなどのことを考えればよくて、それは必ずしも差別になるとは限らないだろう。


僕は、ここ数年、ホームレスと呼ばれる人たちと直に接する機会がある。
彼ら(の多く)は、はっきりと差別される存在だ。何しろ、ホームレスであるというだけで、暴行されたり殺されてしまったりするくらいだ。最初は、僕の中にも「差別する心」はあったように思う。
でも、生身の彼らと付き合ううちに、彼らが何も特別な人間なんかじゃないということがよく分かった。そりゃ中にはダメな人も居るけれど、それはホームレスでない人たちの中にもダメな人が居るのと、基本的には一緒だ。
そして、そういう認識を持てるようになって、初めてホームレス固有の問題が見えてくるようになる。解決策を考えることもできる。それが具体的にどういうものかは、この記事では書かないし、このブログで書く気も(今のところ)ないけれど。(もし書くとしたら、他にそれ専用のブログを作って書きます。)
一つ言えるのは、対象を知ることで、「差別する心」は乗り越えられる、ということ。その意味で、上記のリンク先の記事は良い示唆を与えてくれていると思った。