戦後の歴史教育が「自虐史観」に基づいている、というのは間違いで、実は「被虐史観」なのではないか。その意味では「自由主義史観」というものも「被虐史観」の一種ではないのかな、という妄言。

ここ2〜3日の間にいろいろ考えていたのですが、タイトルのようなことを思いついて、それについてちょっと書いてみようかな、と。
僕は、歴史の専門家でもなんでもないので、以下のエントリを読んで、あまり本気にしてもらっても困りますし、根拠と言えるのは、僕の個人的な経験や記憶などという曖昧なものくらいしかありませんので、ご注意を。


日本の戦後における歴史教育は「自虐史観」に基づいて行われてきた、と一部で言われ始めて久しいのですが、僕は、どうもこれがあまりピンとこなかったのですね、ずっと。
自虐史観」というのは、要するに「第二次世界大戦では、日本は侵略戦争を行った。悪いことをした。」という歴史観だと思います。それに基づいて教育が行われてきたので、日本は国民が誇りに思えない国になってしまった、と。さらに、歴史教科書などを見ると、戦中、日本(軍)がいかに極悪非道なことをやってきたか、ということが書かれているじゃないか、それはおかしいんじゃないか?というのが「自虐史観」を非難する人たちの言い分なのかな、と思います。
それが正しいのなら、僕もその「自虐史観」に基づいた教育を受けてきたことになるのですが、うーん、果たしてそうなのかな?という疑問というか違和感が僕にはあります。いや、俺、そんな教育受けてねーよ、と。
僕が、小中高と受けてきた歴史教育は「自虐史観」というよりも、むしろ「被虐史観」とでも呼ぶべきものだった、と思うのです。ただし、この場合気をつけなくてはいけないのは、「自虐」の主語は「日本」または「日本という国家全体」であるのに対して、「被虐」の主語は「庶民」です。つまり、「日本という国家」はアジア諸国に対して「侵略行為」を行ったが、それは当時の支配層が国民(庶民)を戦争に駆り立てたからだ、だから、庶民は被害者で悪くない、悪いのは戦争を指揮した人たちだ、という考え方です。もう少し簡単に言うと、「日本」は加害行為をしたが「庶民」もまた被害者だ、ということ。そういう考え方に基づいた歴史教育を、僕は受けてきたんじゃないか、と。
だから、学校で戦争について学んだことでインパクトがあったことは、広島・長崎への原爆投下であり、沖縄戦での地元住民の受けた悲劇的な被害などなんですね。けして、南京大虐殺従軍慰安婦の問題ではなく。つまり、加害の記憶ではなく、被害の記憶。もっと言うと、加害者は自分ではない誰か(当時の政府や軍隊)で、被害を受けたのは自分を含めた一般庶民、ということです。
これを「自虐史観」と呼ぶのは、(「被虐史観」という呼び名が良いかどうかは別にして)僕は違うと思います。


ところで、「自由主義史観」というのも、こういう観点から考えると、少し様相が変わるのではないか、と思います。「自由主義史観」というのは、ものすごく簡単に言って「第二次世界大戦において、日本のとった選択肢は必ずしも間違いとは言えない(ある部分においてはそうせざるを得なかった、または正しい選択だった)」ということなんだと思います。
僕は、こういう考え方自体はあって良いと思うし、頭から否定する気もありません。ただ、結果として、「日本はアメリカなどの連合国に追い詰められ、やむを得ず戦争へ突き進んでいった」という考え方を助長している面があることは、否定できないと思います(そういう考え方が良くない、とは言ってませんからね)。
思いっきり単純な言い方をすると、「日本という国家もまた被害者である」ということになりませんか、これ。
つまり、「自虐史観」と「自由主義史観」の違いは、その主体を「(自分を含む)庶民」に置くか「(自分を含む)国家」に置くかの差であって、大きく見るとどちらも「被虐史観」ではないの?
ということを、僕は思ってしまったのですよ。


妄言ついでにもう少し書くと、そもそも、「庶民」が政治やなんかに関わりだしたのは、日本の歴史から見ても、つい最近のことですよね。
明治の初め頃までは「庶民」は政治とは何のかかわりもなく生活してきた。時の政権が変わっても、「お上が変わっても、俺たちのやることには変わりがないよ(せっせと畑を耕すだけだわな)」という感覚だった。でも、徴兵制や義務教育が導入されていく過程で、庶民が「国民」に変貌させられていく。そして、日本が日清・日露・第一次大戦と勝利しているうちは、「国民」はまさに「国家」と一体になってそれに陶酔していた。
戦前の日本は、女性に参政権がないとか、治安維持法などの法律によって思想の自由が制限されているなど一定の制限があったとは言え、衆議院の普通選挙も実現し、「民意」や「世論」が政治に反映されるようになってはいた。それも、「国家」と「国民」の一体感を生み出していたのではないでしょうか。(実際、当時の世論は圧倒的に戦争を支持していたはず。)
ところが、第二次大戦に敗れると、その一体感が保てなくなってしまったのではないか。というか、一体感を維持しようとすると、敗戦の責任を自分を含めた「国民(=庶民)」も問われなくてはならなくなる。ましてや、「戦争犯罪」などという戦前には思いもよらなかった十字架を背負わされてしまう。それを避けるために編み出されたのが、前述した「被虐史観」なのではないでしょうか。
ただし、被害を与えられた相手を「自国の支配層」と考えるか、戦争していた相手と考えるかという点については、意図的なものは感じますね。ま、当時の日本に他に選択肢があったとは思えませんが。何しろ、戦争に負けてますから。
ともかく、こうして、「日本国民」は「庶民」にいったん戻ってしまった。つまり、国家との一体感が切れてしまった。それに対する反動、もう一度国家と国民の一体感を取り戻そうという動きが、「自由主義史観」に端的に現れているのではないでしょうか。


しかし、どちらにせよ、こうした(僕の言葉で言うところの)「被虐史観」では、問題の解決にはならないと思います。
自分が被害者であるという側面をクロ−ズアップすれば、罪の意識からは逃れられて、気が楽かもしれません。「自虐史観」と呼ばれる今までの教育では、庶民にはそもそも戦争責任がない、ということになっています。一方の「自由主義史観」はというと、「国家もまた被害者である」という部分にとらわれて、「国民一人ひとりの戦争責任」ということには踏み込んでいないように見えます。
結局、「加害者である自分」を認めたくない、それに尽きるのではないでしょうか。
じゃあ、どうすれば良いのか?
それは僕の手に余ることのような気がしますが、多分、日本が戦争へ突入していった時の世論やその背景を、もう少し別の視点から眺めてみる必要があるんだろう、それを教育にも生かしていければ、と思います。