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僕が「死刑執行は刑務官にとって過酷な仕事だから、他の受刑者が執行するようにしたら」という意見に賛同できない理由。

日記

なんとなく、前回の続き、というか補足。
まぁ、理由自体は単純で、「違法な殺人を犯した者に、今度は合法的な殺人をさせる」ことの矛盾とか倒錯性を思うと、あー、それは俺の趣味じゃないな、ということ。
世の中にはいろんな人が居るので、その辺の矛盾を何とも思わない人も居るんでしょうが。


刑務所の職員さんは、日常的に受刑者に接しているわけです。
どんな重罪を犯した人間でも、365日24時間常に極悪人である、なんてことはあまりないと思うんですね。あの宅間守でさえ弁護士との接見のときには、「先生(弁護士)みたいな人が俺の父親だったら、あんなことをしなかったかもしれない」って(泣きながら)言ったらしいじゃないですか。*1
つまり、世間では「極悪非道の生きる価値のない人間」と言われている者であっても、生身の人間として接すれば、それ以外の面が見えてくるのは当然だろうと思います。その生身の人間のいろんな側面を知ったうえで、刑を執行するのだから、そこに葛藤が無いはずがない。たとえ、複数の人間が関わって、そのうちの誰が実際に執行したのか分からない、というシステムであっても、そんなの気休めにもならないんじゃないだろうか、と想像します。
では、受刑者と日常的に接する職員以外の人間が、執行すればよいのでしょうか?
確かに、刑務官の負担は軽減されるかもしれませんね。で、一体誰がそれをやるんですか? 僕ですか? それとも、あなた?
他の受刑者という選択肢は上記の理由で論外としても、死刑執行官というのを専門職として新たに設けますか? それとも、裁判員制度のように、市民から無作為に死刑執行員を選んで行う?*2


だから、死刑を廃止すべきだ、とは言いません。僕が死刑を廃止した方がいいと思う理由は、別にあります。ここでは触れませんが。
僕は、もしも自分が死刑囚になったら、今まで会ったこともない誰かに執行されるよりも、身近に関わった誰かにやってもらった方がいい、と考えると思います。死刑囚にはそんな希望を言う資格や権利はない、と言われたら、あー、そうですか、と力無く答えるのが精一杯でしょうけど。

*1:ちょっと、出典を忘れました。思い出したら追記します。→僕が最初に目にした出典とは違いますが、『世界が完全に思考停止する前に (角川文庫)』(森達也)という本の中に、著者が弁護士本人から聴いた話として載ってます。

*2:この制度が実現したら、死刑廃止の動きが強まるだろうな、と思います。誰だって、そんなことをやりたくないんじゃないでしょうかね。