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国家とか愛国心とかについて考え出したら、違う方向に思考が行ってしまいました、という話。(結論はありません。)

日記 自分語り

自分が何気なくブクマしたエントリが、いつの間にか人気エントリ化して、言及しようと思っていたこともあらかた他の人が既に書いてしまっているので、違うことを書こうと考えていたら、ずるずると時間だけが経過してしまいました。ま、国旗・国歌の問題は些末なこと、と言われれば、まぁそうだよね、とも思いますが。


で、僕個人が国家と向き合うときというのは、普通に考えて、国政選挙のときと税金を支払うときぐらいではないか、と思うわけです。戦争にでもなれば、もっとそういう機会は増えるかもしれませんが、それ以外の日常生活で国家を意識することなんて、あんまり無いよな、と。
スポーツの国際大会などで日本代表を応援するときの気持ちというものも、もちろんあるけれど、それは高校野球で愛知県代表を応援するときの気持ちとそう変わらないのではないかなぁ、と。つまり、日本とか愛知とかの“地域”の代表であって、自分もその地域で生まれた・その地域に居住しているから、親近感が沸く・応援しよう、となるのではないかと。僕の場合。自分自身が「国を背負って戦う」選手に何かしらの感動を覚えることがあるのは否定しないけれど、それは「国家」という枠組みに貢献している・誇りを与えているから感動する、というわけではないんだろうな、なんて思います。


よく聞く話に、「海外で生活すると、自分が日本人であることを強く意識するようになる」というのがあります。それによって、自分のアイデンティティや国家観が影響受けるんだ、とか。それは、ありそうだな、と思います。海外で生活したこともないし、愛知県外で生活したこともない(いや、もちろん旅行とかはありますけど)ので、本当のところはよく分かりませんが。
でも、とここで話は逸れていくのですが、今年の5月に友人の結婚式に出席するために東京へ行ったときのこと。新幹線の窓から見える東京都内の町並みを見て、ちょっと愕然としてしまいました。建物の多さに、というか、建物と建物の間のあまりの狭さに。隣の建物との距離が、m単位ではなくてcm単位でしか測れない(ように見える)ほどの近さ。そのとき僕は、「あー、俺は東京には住めないな」と思ったのでした。自分が名古屋人(というか愛知県人)であるということを、強く意識した瞬間でした。あと、なぜか『世界の山ちゃん』に行ったのだけれど、東京ナイズされた店内の雰囲気にどうも馴染めなかったり。
これが東京ではなく、大阪や九州や北海道や沖縄であったとしても、そんなに変わらないんでしょうけどね。
また、僕の両親はともに他県の出身で、そのせいもあってか、僕は自分が名古屋人であることをそんなに自明のこととは思っていません。それから、大学生の頃まで、団地の10階に住んでいたこともあり、文字通り地に足の付いていない、どこかフワフワとした根無し草のような人間だと自分では思っているんですね。でも、そんな僕ですら、東京という土地に行ったときには、「あー、俺って名古屋人」と思ったくらいなので、もし海外に行ったとすれば、自分が日本人であるということを意識するようになるだろう、というのは想像がつきます。(←ちょっと、いや、かなり違う)


さて、「愛国心」を持っているかと問われれば、「ありますよ」と答えるでしょうが、じゃあ、その愛国心ってなんだ?ということになると、ちょっと難しい。僕の頭に浮かぶ愛国心というものは、実は「愛郷心」だと思います。
愛知県出身者として考えれば、プロ野球と言えば中日ドラゴンズだし、美味いものと言えばひつまぶしだし、とんかつと言えば味噌だし、城といったら名古屋城だし、ボクサーと言えば昔は薬師寺保栄だし、相撲と言えば琴光喜だし、ロックバンドと言えばブランキーだし、まぁ、そういう感じ。それの延長で日本人として考えれば、主食は米だし、魚は刺身だし、山は富士山だし、花は桜だし、海外で活躍する日本人は松井秀喜であれ、少年ナイフであれ、とりあえず応援したくなるし、そんな感じ。
つまり、日本という「国家」に対する愛着心というよりも、日本という「地域」に対する愛着心(親近感)なんだろう、と。これは、やはり似て非なるもので、この辺を自分の中ですり替えてしまうのは、気をつけた方がいいだろうな、と思います。
では、「国家」に対する愛着心を持っているのか?となると、うーん、どうなんだろう。上に書いたように、僕が国家を多少なりとも意識するのは、やっぱり選挙と税金を払うときぐらい。買い物をするたびに消費税を払っていることを思えば、毎日意識していることになりますが、そんなわきゃない。そのときに考えることは、税金が安くなればいいなとか、税金の使いみちがきちんとしたものであってほしいなとか、そんなこと。日本という国家は素晴らしい国家だなとか、そういうことはあまり考えない。普通に生活してて、そういうことって考えるのかな? 「あー、今日も平和で無事に一日を送ったなぁ。日本は素晴らしい国家だなぁ」とか? 考えない考えない。というか、「日本は素晴らしい国です」とか、「日本人であることに誇りを持ちましょう」なんてことを声高に言う人でさえ、こういうことは考えないと思う。だって不自然だもの。


…と、ここまで書いてきて、「俺って、なんだかんだ言って百姓根性なのかな」と思いました。「武士道? 実家の先祖は百姓だ。武士道で腹が膨れるのかよ。けっ」とかナチュラルに思っちゃうからなぁ。
あ、そうか。百姓にとっては、大事なのは土地。お上の方針は気にならないことも無いけれど、誰が上に立っても自分の暮らしは変わらないぜ、ってことか。だから、愛郷心は旺盛だけれど、愛国心は微妙、ってことなのかも。
うーん、それもまた違うような気はしますけども。僕自身、今現在は農業に従事してるわけじゃないし。



追記

この記事をアップしてから、「根無し草」と自分で言っておきながら「愛郷心」も何もあったもんじゃないよな、と思った。そういう観念というか錯覚でしかないという意味においては、僕の言う「愛郷心」も、「愛国心」とさして変わらないですね。