恋愛とか友情とかセックスとかを包含関係と見ても良いけれど、僕はそれぞれ独立した回路なんじゃないかと考えてます。

昨日の記事で言及したid:massunnkさんからトラックバックをいただきました。→http://d.hatena.ne.jp/massunnk/20060901#kankei
いや、反応してもらえて嬉しいです。それで、それに対するさらなるリアクションを書こうかと。
たしかに昨日の僕の記事の書き方では、「友情を美化しすぎ」と受け取られるかもな、と書いた時点で既に思ってました。ただ、このへんは友情をどう定義するかの問題で、本質的な問題じゃないですよね。って僕が悪いんですが。利害関係とか打算という言葉を使って、恋愛と友情の違いを説明しようとしたのは、少し無理があったかもしれません。
あと、こちらの記事も読んで、さらに思うところもあり。→http://d.hatena.ne.jp/miyakichi/20060901#1157089878
僕は、ヘテロであれ非ヘテロ(使い方あってる?)であれ当て嵌まるはず、と思って前回の記事を書きましたが、そういう風には読めない可能性が高かったかも。そこらへんも反省点。


さて、そこで、僕が「恋愛が友情を包含する」ということに対して感じた違和感を、もっと上手く説明できないかとあれこれ考えてみました。
で、結論はタイトルの通りなんですけど、恋愛と友情というのは独立した別の回路ではないか、と。
もっと言うと、(恋愛という「祭」との対比で想定される日常における)「愛情」も別の回路だし、「セックス」も別の回路だろう、と思うんです。
みんな、これらの回路を持っていて、対象と双方向に繋がった場合にその関係が成立する、って感じ。もちろん、それぞれ独立した回路なので、同時に複数の回路が通じることもあれば、どれかが単独で成立することも有り得ます。
この考え方だと、自分と相手の性別がどうとか、セクシャルなアイデンティティがどうとかは、とりあえず無視できると思います。
多くの人は、恋愛とセックスはセットでないと回路が繋がらないとか、恋愛の回路が繋がったら友情は繋がらない、と考えると思いますが、必ずしもそうではないのが現実です。
ぶっちゃけると、他の回路は全く通じないけれど、セックスだけは通じてしまう、って例はいくらでもあるし。逆に、他の回路は全て通じているけど、セックスだけは通じない、というのもあるでしょう。(この例で思いついたのは、岡野玲子が描くところの漫画版『陰陽師』における、安倍晴明源博雅の関係とか、押井守監督の映画版『攻殻起動隊』における草薙素子とバトーの関係とか。違うかな?)
あと、恋愛と友情も同時に通じうる回路ではありますね。これは結婚してる人には、ある程度実感を持って理解してもらえるんじゃないかと思うのですが、恋愛におけるパートナーが「戦友」のように思えたりすることがある、とか。それは「恋愛」が「愛情」に変化したんだよ、とも言えるかもしれませんが、そうじゃなくて、友情としか呼び得ない場合もあるんですよ。それに、この場合でも恋愛感情が無くなってしまうとは言い切れないし。
それから、友情とセックスが通じてしまう場合も、絶対にないとは言えない、と思うんですね。「お前は友達とセックスできるのか」と尋かれたら、「うーん、微妙」と答えますけど。でも、セックスしたら友情が壊れちゃう、というのも一面的かな、と。いや、そういう人の方が多いんでしょうが。でもでも、友情とセックスだけで結婚してる人も結構たくさん居るのでは?


ここで、僕が大事だと思うのは、この回路は一方通行ではダメで、双方向でないと通じているとは言えない、という点です。
自分から性的対象となる性の相手に対して友情の回路を閉ざしていたら、成立するもんも成立しない。また、例え、友情を感じる相手に性的関心を抱いたとしても、相手も同じように思ってなかったら成立しないのだから、あんまり気にするな、と。*1それに、セックスしたらもう友達じゃない、ってのもケースバイケースなんだし。


最初の命題だった「男女間の友情云々」は、前にも書いた通り、「成立するに決まってんじゃん」って感じだったんですが、どうしてそう思うのかを自分なりに纏めるとこんな風になりました。
それから、精神分析のことはよく分からないので保留します。
これは、あくまでも、僕自身はこう考えるとすっきりします、ってことなんですが、どうでしょうかね。

*1:ここでレイプはどうなるんだとか思ったひと! それは全く別の問題ですから!!