恋愛が友情を包含している?

こちらの記事を読んだのですが。→http://d.hatena.ne.jp/massunnk/20060831/p1

「男と女、男と男、女と女、いかなる関係であれ友情が成立するのは<好意>と<抵抗>のベクトルのバランスがとれている時である。よって男と女の間でもそのバランスが保てれば友情は成立する。」

…というのは、何となく理解できるんですよ。というか、僕が好きな表現の仕方だなー、と思います。
でも、少し違和感があるな、とも感じました。それは、「恋愛が友情を包含している」という部分に対して。はて、そうなのかな?と。
「友情はセックスのない恋愛である」というのは、なかなか素敵な言い回しだし、実際に、これが当て嵌まる人たちも多そうな気はします。でも、これが当て嵌まらない場合もやっぱりある、というか。
友情が成立するには、下の方にも書いたけれど、「利害関係が絡まない」ことが前提にないと難しい、というのが僕の考えなんです。または、利害関係を超える覚悟が必要ではないか、と。言い換えると、打算がない関係が友情だ、って感じ。
困ったときに助けてくれるのが友達だ、というのが友達の定義ならば、やはり利害関係とか打算とかが初めから存在しない(それか、いざとなったら利害とか打算とかを投げ捨てられる)、という状況がないと。
で、僕は、恋愛って利害関係が絡みまくってるし、打算だらけじゃないか、と思うわけです。そういうのが入りこまない恋愛だけが「本当の恋愛」だ、という言い方もできるんでしょうが、うーん、それは恋愛を美化しすぎじゃないかな、と。
あと、恋愛は基本的には「私」と「あなた」の1対1の関係だけれど、友情はそうとは限らないということもあります。『三銃士』みたいな、「一人はみんなのために、みんなは一人のために」的な関係は、「恋愛が友情を包含している」という考え方からはこぼれ落ちてしまいますよね。多分。