生活保護費の着服をする小役人は、はした金で人生を棒に振ってしまう「愚か者」である。そして、「愚か者」を生み出すのは「制度の運用」に問題が多すぎるから。

で、僕も含めて世の中の人の多くは、そんな「愚か者」になる危険性を持っています。でも、実際にはあんまりならない。なぜかと言うと、それは冷静な判断ができるとかそういう理由じゃなく、そういう風にしつけられているからです。では、「愚か者」になってしまった者は、そういう風にしつけられていなかったのかというと、そんなはずもなく、僕と「愚か者」を隔てるものは、結局のところ「運とタイミング」でしかないのかな、とどこかで聞いたふうなことを思ってみたり。あと、最近、ネタを思いついてから、実際に記事にするまで時間が掛かりすぎだよな、とも思ったり。
話がずれましたが、本題は、こちらの記事に触発されて、考えたことをつらつら書いてみようか、ということです。こちら↓

非道い話だ。職員の着服が横行している側で、受給出来ずに餓死をする人がいるのかと思うと、何処かで銃を買い込んで役所で乱射をしたくなる。税金を着服する役人は全員死ね。
『煩悩是道場 - 生活保護の職員着服は改善出来るか』

引用した箇所については、全くの同意です。ちなみに、リンク先の記事でも紹介されている朝日新聞の記事はこちら→http://www.asahi.com/national/update/0818/OSK200608170153.html


ただ、僕は、「生活保護費の着服」という行為自体はもちろん許されることではないけれど、悪事の「質」という意味では、みみっちいもので、小悪党のやることだな、とも思うわけです。
上記の朝日の記事によると、神奈川県厚木市で「00年〜今年3月まで」に「保護費計約4150万円を架空請求して詐取」したという事例や、京都市の「保護費など492万円を着服」といったことがあったそうです。これらの総額を見るとかなりの金額に上るのですが、これは「短い期間」に「大金」を横領・詐取したものではなく、少ない金額(せいぜい20〜30万円程度)の不正が積み重なった結果だと思えます。
なぜそう思うのかというと、生活保護という制度は「最低限度の生活を維持」することが目的であるので、必然的に、その扱う金額は(総額はともかく)基本的には少額になるはずだからです。つまり、一度にそんなに多額の不正ができるはずがない、というわけです。
例えば、官製談合とか公共工事の不正入札といった事件で問題になる金額と比べると、これはやはり、「みみっちい」と言わざるを得ないような金額でしょう。(4000万円というのは、それでもとんでもない数字ではありますが。)
ましてや、公務員の生涯賃金と比較すれば、その程度の金額の不正に手を染めるのは、「はした金で人生を棒に振る『愚か者』のやること」と言われても当然、というか。


ところで、そうなると一つ疑問なのは、「一件ずつの不正は少額なのに、それが多額になるまで見逃されているのはなぜか」ということです。
これは、チェック機能の不備(というか欠如)に尽きると思うのですが、ululunさんのおっしゃるように「どのようなチェック体制を用いても抜け道、抜け穴が作りやすい現場なのだ」ということかもしれません。
もう少し具体的に言うと、生活保護の現場においては、各福祉事務所の担当者(ケースワーカー)が保護を受ける人の生殺与奪の権限を事実上握っている、というのが問題の元凶なのではないか、と。それは「彼らの"さじ加減"一つで支給額が決定する」というような強権をふるうようなイメージではなくて、普通の会社で言えば平社員と同格の一公務員が、もっと言ってしまえば小役人が、人の生き死に関わるという責任がやたらと重い仕事を、何十件(時には百件、百数十件以上)も背負わされ、ストレスを溜めつつ、ひーこら何とかこなしている、というような感じでしょう。(確かに、ルーティンワークという側面もあるでしょうが、人間相手の仕事は不測の事態がしょっちゅう起こるのは、どんなサービス業でも一緒。)つまり、やってる仕事の内容と、それをする人間の質(あるいは待遇)が必ずしもマッチしているとは言いにくい面がある、ということです。
そのような職場環境で、しかも、現金のやり取りをほぼ日常的に執り行っているということであれば、そして、「抜け道」に心当たりがあれば、「ちょっとくらい…」と考える「できの悪い」職員が居てもおかしくはない。*1
何が言いたいかというと、生活保護制度の現場における運用の実態そのものが、ちょっとひどい状況なんじゃないの、ということ。


なので、対策としては、ululunさんの言う「アイリス(光彩)や静脈のような個人を確実に識別出来るシステムを申請段階で組み込むという方法」もありだとは思う*2けれど、その前に、この生活保護を担当する行政組織の抜本的な見直しが必要でしょうね、まず。
それから、朝日の記事の中で、「支給額の計算は複雑で、苦情を言っても『計算上こうなります』と言われてしまえばそれ以上、追及できない」と語る生活保護を受けている男性の話が出てきますが、これだってどんな計算であるのかオープンにすればいいのに、と思います。生活保護の支給額の計算は、基本的には足し算だけのはずで、そんなに複雑なものではありません。それこそ、ケースワーカーの“さじ加減”が入り込む余地がないほど、単純なはず。ところが、受給者にそのように思われていないのは、その計算の根拠となる「基準」があまりオープンになっていないからだ、と考えます。外から見ると、ブラックボックスになってしまっている、と。
WEB上で「生活保護基準」を検索してみても、ほとんど具体的な数字が示されません。別に機密事項でも何でもないのだから、もっと、WEB上に公開されていてもおかしくはないのに。
基準自体はWEBを離れて、書籍などで調べれば、分かるものではあります。ただし、よほど興味のある人でないと、そこまではしないでしょう。(毎年、改正されるものだし。)
ところで、これを広く公開してしまうと、行政側に不利な点が出てくる可能性も考えられます。基準がオープンになりすぎると、生活保護を受ける側(あるいはこれから受けようとする人たち)が「知恵を付けてしまう」ことを恐れているのではないかとか、隣り合う市町村でも支給額に大きく差がある場合があって、それを知って不平を訴える人の対処が面倒そうだとか、場合によっては意外とたくさんの金額がもらえることが分かって、保護を受けられないぎりぎりの層の人たちから不満の声が上がるかもとか、そもそも、WEBで公開するのが面倒くさいだけとか、とかとか。まぁ、要するに波風を立てたくないんだろうな、という極めて役人くさい発想なんでしょう(という推測)。
でも、これをオープンにすることによって、保護を受ける側に余計な不信感を与えることもなくなるし、不正をしにくくもなるんじゃないか、と思うんですけどね。
どういった場合に保護費が支給されるのかを知らしめる、ということは不正受給などに悪用される危険性もあるけれど、それは今でもあることなので、そう大して変わらないだろう、と。
それより、みみっちい横領とか不正を、ますますしにくくなるような情報公開をさっさとするべきだ、というのが僕の意見です。



2006/8/22 17:35追記

「WEB上で「生活保護基準」を検索してみても、ほとんど具体的な数字が示されません」と書きましたが、新宿区の公式サイトでは、PDF版の「生活保護基準額」がダウンロードできるようです→http://www.city.shinjuku.tokyo.jp/fukushi/images/FR000005.pdf
あと、こちらにも、基準額の情報が載っています→http://www.incl.ne.jp/~ksk/ksk/seido/seihox.html
惜しいのは、前者は04年度、後者は98年度と最新のものではないこと。今は、金額は若干変わっています。でも、参考にはなる。
ところで、実際の計算方法ですが、前者のPDF版を例にとると、まず「第1類」で、自分の年齢の当てはまるところを見ます。それに、「第2類」の数字を加えたものが、その世帯の1ヶ月の基本的な支給額になります。
例えば、30歳の1人暮らしの人の場合は、この表をもとに計算すると、83,400円+家賃の実費(53,700円以内)になります。冬季加算の3,090円というのは、11月から3月の間は暖房費などで出費がかさむだろうという想定で、支給される金額です。また、45歳の父親、42歳の母親、中学1年生(13歳)の子どもの3人家族を考えると、173,660円+教育扶助+家賃の実費(69,800円以内)ということになります。(この数字は04年度の場合。今は多分少し変わっているはず。)
それから、後者の「基準表」の「1級地―1」とか「2級地―2」とか書いてあるのが、それぞれの市町村によって基準額が異なる、ということを示しています。東京23区をはじめとする「1級地―1」(主に都会)と、「3級地―2」(主に田舎)では、大分支給額に差があるのが分かりますね。

*1:もちろん、多くは真面目で勤勉な人たちばかりだと思いますよ。というか、そう信じたい。

*2:人権的に問題だ、とか言われそうではありますが。