ワーキングプアについて理解が深まらないまま、もうちょっと書いてみます。

さっき書いた*1記事に、トラックバックをいただいたので、私信返しを*2

ワーキングプア救済の議論議論というけれど、
ぶっちゃけ、ぼくは、あんまり議論が必要だとは思わないんですよ。

だって、議論の余地無く、今の生活保護基準は、厳しすぎですから。
いったい、あれのどこに議論に余地があるんですかね?
なんでそんなものに議論が必要なのか、さっぱり分からない。
単純に、基準や制度をもっと柔軟にするべきだと思います。一刻も早く。
いま、こうしている間も、彼らは苦しんでるわけで、それに対して牛歩戦術するのもなかなかサディスティックだと思うけどなぁ。そういうエグい趣味の人が多数派とも思えないんですよね。
『分裂勘違い君劇場グループ-劇場管理人のコメント-これかの日本のビジョンは「いかに幸せに衰退するか」だ』

リンク先のfromdusktildawnさんの記事の内容自体には、僕は反論・異論は今のところありません。「これからの日本の『いかに幸せに衰退するか』というビジョンを構築すべきだ」というのも、好きだと思える言い回しです。
ただ、ちょっと引っかかったのが、上に引用した部分。いや、生活保護の基準の問題に限れば、議論の余地はあります。でも、これをきちんと議論しだすと、相当エネルギーを使うことを覚悟しないといけないので、まず一つだけ。今の生活保護基準は確かに「厳しすぎ」の面もありますが、逆に「甘すぎ」とも言える部分もあります。だから、「一刻も早く」というのはそのとおりなんですが、制度の中身をどうするのかということについては、それとは別にきちんと検討した方がいいとも思います。
もちろん、個々の事情によって、緊急性の高いケースにはすぐに救済措置を講ずるべきだ、ということに関しては、賛成です。


僕が今ひとつよく分からないのは、ワーキングプアという「現象」は何も今始まったことではなくて、ずっと昔から存在していたもののはずで、あえてそういう名称を与えることによってどんな意味があるのか、ということ。前の記事にも書いたとおり、ある一定の水準以下の収入しかない人は生活保護の対象になりますから、わざわざそんなセンセーショナルな名称など必要なのでしょうか。
でも、そういう名称を与えることによって、ワーキングプアに当てはまる人たちに対する関心が(たとえ一時的であっても)高まる*3という効用はあったわけで、そういうポジティヴな側面を評価した方が良いのかもしれませんね。

*1:このサイトは日記モードにしているので、長文の記事が続くと読みにくくなるため、未来の日付を使用しましたが、書いているのは7/28です。

*2:と、思って今あちらの記事を見たら、僕の記事へのリンクが削除されてました。まぁ、いいや。せっかく書いたのでアップしときます。

*3:僕でさえ、こうしてブログのネタにしているくらいだし。