「人間」という言葉はいつから「ひと」という意味になったのか、図書館で調べて来ました。

6月8日の日記でタイトルのことについて、頭の中で考えたことを書いたのですが、それだけで済ませてしまうのではスッキリしないので、近所の図書館でちょっと調べて来ました。元々、この疑問は『日本国語大辞典』で調べれば、すぐ分かることだよな、とは思ってたので、時間が空いたのもあって、行ってきました。
日本国語大辞典』(通称「日国大」)は国語学の研究者には欠かせない本なのですが、一般家庭で置いてあるうちはほとんどないでしょうね。でかいし、重いし、場所取るし(別巻も入れて全14冊)、高いし(値段が)。でも、これの良いところは、用例が大体時系列に沿って並べられていて、出典も明らかにされてるので、その言葉がいつ頃使われていたのかということがある程度確定できる、というところ。まさに、今回の目的にはぴったりなのですね。
で、調べた結果、僕の推測はかなり間違っていたことが分かりました。
以下、『日本国語大辞典 第二版』の「にんげん」と「じんかん」の項から分かったこと・そこからさらに推測したことをまとめてみます。(ただし、読み方の問題はとりあえず脇に置いときます。)


まず、「人間」という言葉そのものは相当古い
『日国大』の用例(「じんかん」の項)によると、中国の古典『韓非子』の中に既にこの単語が出てくるらしい。韓非は紀元前3世紀頃(秦の始皇帝と同時代)の人だし、『韓非子』という書物は紀元前2世紀末頃には成立していたらしい。ということは、仏教が伝わるずっと前に、中国語には「人間」という言葉があったということになる
「にんげん」の項を見ると、『法華経』の中の用例が載っている。一番有名な鳩摩羅什の『法華経』の漢訳が406年というから、仏典を翻訳する際に、「人の住む世界」という意味の中国語の「人間」をあてたと考えるのが妥当だろう。(僕は仏教用語の「人間道」から「人間」という言葉になったという推測を立てていたのだけれど、間違っていたことになる。)
ただし、「人間」という言葉が日本に入ってきた時期については、仏教用語としてが先なのか、そうではない中国語の言葉としてが先なのかは、ちょっと分からない。でも、日本に仏教が伝わった時期と、(韓非を始めとする法家の思想の具現化である)律令*1が成立した時期を比較すると、仏教用語としての方が少し先なのかな、という気はする。しかし、日本と中国(や朝鮮半島)との交流はそれこそ三国志の時代にまで遡れるから、普通の中国語としての方が先でもおかしくはない。
ともかく、「人の住む世界」という意味の「人間」は、かなり昔から日本でも使われていて、『続日本紀』なんかの平安時代初期の文献にも出てくるみたい。平安時代末期の『色葉字類抄』という辞書にも「ニンゲン」という読み方の言葉として載っている。


では、この「人間」という言葉が「ひと」という意味で使われだしたのは、いつ頃のことか。
僕は何となく「明治時代くらいからじゃね?」と思ってたのだが、これが大間違い。
何しろ『今昔物語集』(平安時代末期頃)の中で、既に「ひと」という意味で使われているという。ちなみに『日国大』には「天人は目不瞬かず、人間は目瞬く」という用例が引かれていて、これは確かに「ひと」という意味だと分かる。
それに、幸若舞の『敦盛』(織田信長がここぞという時に舞った、と言われている、あれ)には「人間五十年けてむ(下天)の内をくらぶれば夢まぼろしのごとくなり」という有名な文句があったということに、今更ながら気付かされ、あぁそうだった忘れてた、ってこともあった。なんで、このことを思いつかなかったのか、我ながらボケてたな、と思う。
明治期の訳語云々は勘違いも甚だしく、いやお恥ずかしい。(^-^;


もちろん、ここに書いた事柄は辞書に載っていたことだけを元にしているので、一次資料に当たっていないという意味では学問的な価値はほとんど無いです。僕個人の覚え書きとしてはこれで十分ですが、専門的に研究している人から見れば、物足りないないでしょうね。まだ何か間違いがあったら、指摘していただけると非常に嬉しいです。
前に書いた間違いだらけの記事は、自戒のためにそのまま残しておきます。

(2006/6/12 修正加筆)

*1:ただし、日本が手本にした当時の中国の律令制は、法家よりも儒家の思想が色濃く反映されたものだったはず。