不良の音楽

久しぶりに外道のベストアルバムを聴きました。
外道といえば、70年代の数少ない和製ロックバンドの一つ。僕は、もちろんリアルタイムでは体験してません。
で、このベスト盤にはDVDがおまけに付いていて、それが外道というバンドと「外道集団」と呼ばれたファン達の姿を描いたドキュメンタリーで、これがちょっと面白い。70年代当時にテレビで放送されたものなんですが、制作に携わった若き日(っても結構オッサンですが)の田原総一郎の姿も見れます。
「外道集団」は当時はサーキット族と言われた、今で言えば暴走族の走りみたいな人達が作った、外道の親衛隊みたいなもの。このDVDを見ると、外道が、決してスノッブではない街(ストリート)の不良たちの音楽として受け入れられていたことが、よく分かります。「ロック=不良」が文字通りの意味で成立した、ひょっとしたら日本で初めての例かもしれません。


それはともかく。
肝心の音楽はというと、これが凄まじくかっこいい。
レッド・ツェッペリンを思わせるリフ主体の演奏に、メロディーよりもリズムのアタック感を重視した歌が乗る、現在の感覚で聴いても日本人離れしてる楽曲は、ちょっと気違いじみたかっこよさ。
こういうバンドに対しては、よく「10年早かった」なんて言葉が使われますが、僕はそういう言葉をあんまり信用してません。どんなバンドも、それなりの必然性を持ってその時代に登場するし、逆に必然性を持って登場したバンドの曲は、ある程度の普遍性をも備えているものだと思うからです。「早い・遅い」はそれほど重要な問題ではないです。
外道というバンドは、70年代にしか現れなかったし、それゆえ今聴いても、僕の心に響くのだ、そんなふうに思うのです。


もう一つ。
僕自身は、暴走族的なメンタリティーや行動には全く共感しませんが、「不良の音楽」というものにはどうしても惹かれてしまいます。それは、「不良の音楽」がいつの時代も、社会や世間から疎外された者(あるいは自ら社会の外に身を置くことを選んだ者)の心情を表現しているからなんでしょう、たぶん。