僕だけかもしれませんが

あんまり濃くて、強く衝撃を受けた文章に出会うと、ブクマする気になれないことがあります。(そもそもそんなに活用してませんけど。)
「強い文章」を読むと、いや文章に限らず「強い表現」(=音楽でも絵でも映画でもなんでもいいんですが)に触れると、「あぁ、もう戻れないな」と感じるときが僕にはあります。「それ」に出会う前と後では、自分の中で何かが決定的に変わってしまって、「それを知らなかった自分」にはもうなれないんだ、という感覚。無理矢理「変えさせられる」と言った方が近いかも。*1
それは「感動した」とか「感銘を受けた」とかそんな言葉では足りなくて、というか「変わった」ことが良いことなのか悪いことなのかすらよく分からない、そんな境地で。
そういうことは、人生の中でそう何度もあることじゃないんですが、でも確実に、どうしようもなく、起こってしまうことでもあります。
それは、時には気分を高揚させもするし、時には気を重くさせもします。今までの経験上、そういう状態になったときにすぐリアクションしようとすると、つい何か「やらかしてしまう」ので、なるべくおとなしくするようにしてもいます。(でも、やっぱりおとなしく出来ないこともありますけど。)
だから、「強い文章」には、ブクマするのも躊躇してしまう。と言うより、自分の中の変化についていくのが精一杯で、コメントを考える余裕もないし。まぁ、そこまで自分に影響を及ぼしたことなら、何もしなくても自分の中に残っていくはずなので、あえてブクマはしない、ということもあります。
なので、最近いくつかの記事をわざとブクマしてません。この歳になっても、まだまだ変わってしまう自分は、ある意味ですごく未熟なのかもしれません。

*1:理屈ではどんなものに触れても、自分は変化しているはずですが、そういうことではなくて、もっと根本的な変化のことです。