ネガティヴメッセージを書くときの心構えについての覚え書き

この間から、ちょっと考えてることがあるんですが、少しまとまりつつあるので書いときます。
ululunさんのところで、いくつか記事を読んでいろいろ思ったことがありまして。

ここに挙げた記事や、そこに寄せられたコメントを読みながら、それに触発されて、あれこれ考えているうちに、「やっぱり、どんな形であれ、ネガティヴメッセージを発するのは難しいなぁ」と思った次第。
で、ここから書くことは、僕自身が文章を書くときには「こういう姿勢でいたいなぁ」と思っていることです。だから、他の人に対して、「こうして欲しい・こうしなさい・こうしろ」ということを言いたいわけではありません。

1 ネガティヴメッセージって(自分内定義)

まず、言葉の定義ですが、「ネガティヴメッセージ」というのは「正当な批判」「的外れな批判」「誹謗中傷」「単なる悪口」「罵倒」など、とにかく幅広い意味での「相手にマイナス評価を与える言説」です。ここで、正当な批判と悪口などを一緒くたにしてしまうのはなぜかというと、結局のところ批判と悪口の間に明確な線を引くことが非常に難しいからです。
いくら書き手が冷静にまた慎重に「批判」をしていたとしても、読み手が同じように判断するかどうかはかなり微妙です。つまり、「単なる悪口」としてしか受け取れない場合もある。読み手が批判された当人であるか、あるいは第三者であるか、その立ち位置によっても、当然左右されてしまいます。
そこのところが問題で、読み手が書き手の意図を正確に把握することはまず出来ない、常に誤読・誤解の可能性がある。人間というのは、油断すると、そこに書いてあることが見えなかったり、書いていないことを読み取ってしまう生き物なのです。(少なくとも僕はそうです。そういう自覚があります。)

2 ネガティヴメッセージはなるべく書かない(自分内ルールその1)

そういった誤読・誤解から生じるストレスを避けるには、いちばん簡単なのは「ネガティヴメッセージを書かない」ということです。僕も普段はこの方針を採用しています。理不尽だなぁと思う言説や事柄が目に入っても、それが直接自分に関係しない限りは、触れない。
だから、僕はこの日記でテレビ番組の感想を書いたりしてますが、つまらなかった番組・好きではないタレントさんのことなどは書かない。スポーツの試合を見て「八百長じゃないの?」と思っても、書かない。他の人のブログを読んで、「何をバカなことを言ってんだろう?」と思っても、書かない。いや、別に書いてもいいんですよ。でも、それを書くのにあえてエネルギーを使うのは、あまり気が進まないなぁ、と思ってるだけで。

3 それでも書きたいときは(自分内ルールその2)

とはいえ、僕もやっぱり人間なので、時には他の人を「批判したい」とか、ひょっとしたら「罵倒したい」とか思うかもしれません。そうしたら、たぶんネガティヴメッセージを書くでしょう。
で、そのときには、やっぱり慎重にやりたいなぁ、とも思うわけです。「何か」に腹を立てたとき、「何か」が間違ってると怒りを覚えたとき、それは僕の素直な感情であるには違いないけれども、それだって誤解かもしれない。そう、「誤解」って書き手自身がその「何か」を誤解している場合もあるわけです。
誤解が「好きだ」とか「面白い」とか、そういうポジティヴな方向への誤解だったら、あんまり問題にならないでしょうけど、ネガティヴな方向の場合は、まぁ、揉め事や不毛な議論の種になってしまう可能性が高いでしょうね。


だから、「好きだー」って思ったときは、その感情に任せて一気に書いてしまいたい。その方が面白い文章になっている場合が多いような気もします。
逆に、「嫌いだー」とか「間違ってるよー」とか思ったときは、少しその「感情」を寝かしておきます。そのことによって、自分が批判しようとしている対象を誤解しているという可能性を、減らしておきたい。また、そもそもブログに書くだけの「価値」があるのか、ということを検討しておきたい。そこまでしても、誤解の可能性は依然として残るわけですが、そういう風に心掛けてはいたい。


そういう過程を経て、ネガティヴメッセージを発してもいい、と自分で思えたとき、ようやく実際に書けるわけです。
そして、書く段階に至ったとき、自分がしたいのが「批判」なのか「悪口」なのかをよく考えながら言葉を吟味します。書くからには、なるべく効果的でありたいし、的確でありたいわけです。
でまぁ、僕としては「悪口」はあまり言いたくないので、ululunさんの記事(上記に挙げた3番目の記事)では、「象」の喩えが使われていましたが、その例にならって言えば、自分が触れた範囲を明確にしたうえで、「象って、長細くてくねくね動いて、気持ち悪いよねぇ」ということを言うようにしたい。的確に書けていれば「ばーか、それは象の鼻の部分のことだろ」という罵倒ではなく、「あぁ、たしかに、象の鼻の部分はそうだけど、実は象というのはもっと大きな体をしていてねぇ(以下略)」という、有益な情報を得られるかもしれませんから。*1

まとめ

勘違いして欲しくないのですが、僕は「ネガティヴメッセージを書くな」ということを言いたいのではありません。ただ、自分としてはなるべく書かないようにしている、というだけです。
そして、もしも書くとすれば「自分自身が誤解をしている可能性に、出来るだけ留意して書こう」という心構えを持っていたいな、と。でも、読み手の誤解はどれだけ注意していても、起こってしまうことではありますね。その辺はもう、覚悟の問題でしょう。*2
標語っぽくまとめるなら、「自分自身の誤解を恐れよう。でも、読み手の誤解は恐れずに書こう。」ということでしょうか。

*1:その意味では、ululunさんのブログのコメント欄に出没していた「通告」さんは、最初のコメントがスルーされていたら、単なる荒らしで片付けられていた可能性が高いわけですが、結果として、ululunさんから多くの言葉を引き出し、新しいエントリをあげさせることまでできて、かなり「有益な情報」を得たのかもしれませんね。ネガティヴメッセージの使い手として、なかなかの上級者のような気がします。ただし、僕自身はこういったやり方を用いることはしないと思いますが。

*2:覚悟って、自分の書いたことに責任を持つ、ってことですね。何を書いてもいいんです。ただし、自分に非があるときは、きちんとした形で謝る。それが「責任を持つ」ってことだと思うんですよね。「きちんとした形」ってのも難しいんですが。