「空気を読む」または「要領がいい」

上記のリンク先を読んで思ったことなどをつらつらと。

僕はWEB上(オンライン)での「空気を読む/読めない」とか「要領がいい/悪い」ということには、そんなに興味がありません。だから、以下に書くことは、僕自身の実生活(オフライン)でのことを念頭に置いて書いています。
まず、実生活のうえで(しかも、仕事をするときに)、「空気が読めない」「要領が悪い」というのは致命的です。そういう人と仕事をするのは、苦痛であることがほとんどです。ただ、この二つは似て非なるものであるような気もします。というか、僕は少し違う意味で捉えています。
そこで、ほんのちょっと掘り下げてみようかな、などと思ってしまいました。


1.「空気が読めない」
僕が「空気を読めない人」と聞いて思い浮かぶイメージは、「原理原則に忠実であろうとするあまり、自分や他人の行動を抑制してしまう人」です。「原理原則」という言葉を「正義」とか「信念」とか「真理」なんて言葉に置き換えてもいいでしょう。
忠実であろうとすること自体には、なんら問題ありません。というか、そうであるべきです。しかし、「空気が読めない人」は、それらが「自分の信じる原理原則(正義・信念・真理)でしかない」ということには、思い至っていないのです。
上記のリンク先の2番目のmedtoolzさんの記事の場合、「平等主義」という原則に従っていたら、救えるはずの命も救えなくなるという場面(医療現場)において、担当した患者のために技術的な手段だけでなく政治的な手段も行使する医師の姿が描かれています。これは、「空気が読めない人」(この場合は「空気を使えない人」と言った方がいいかもしれません)から見れば、「許せない」ことでしょう。しかし、現実の場面に置いては許すも許さないもなく、自分の出来うる限りの全ての手段を使うべきなのです。それが、最善を尽くす、ということです。それは、「正しい」ことではないかもしれないけれど、正しくなくても「実利」を取らなくてはならない場面は、確実に存在するのです。
逆に言えば、この医師の行為に対して反感を抱いた別の医師は、自らも「実利」を得るために「空気」を使うべきなのです。
これが、現実のあらゆる場面で適用できるとは思いません。人の生死に関わらない仕事ならば、原理原則を優先させるべき場面も多いはずです。けれども、それが全てではないのです。


余談ですが、僕にはわりと身近に医療現場や福祉の現場にに携わっている知人が多くいます。彼(彼女)らは、原理原則の重要性を身にしみて理解しています。その一方で、彼(彼女)らは、自分の担当するクライアントの利益のために原理原則を曲げなければならないときは、たぶん、ためらうことなく曲げるでしょう。そうでなければ、仕事になりません。
でも、全てを割り切っている、というわけではなくて、その人たちなりの葛藤も存在しています。この「割り切り」と「葛藤」のせめぎ合いが、ある意味で、こういった仕事の醍醐味なのかもしれません。


閑話休題
2.「要領が悪い」
1番目ののリンク先(茅須まいるさんの記事)では、「仕事の段取りが出来ない」という意味で「要領が悪い」という言葉を使われているようです。そういう人居ますね、うん。
「優等生的に上手く立ち回る」ということと、「周りを観察して、自分のすべきことを順序立ててする」ということは、全然違うことだと思います。どちらも「要領がいい」と言われちゃいますが。
僕自身はというと、必ずしも「要領がいい」とは思っていません。ただ、そのことを自覚することによって、なるべく周りの人の動きを観察しようとはしています。それが成功しているかどうかは、自分では分かりませんが。
けれども、明らかに周りを見ていない、見ようともしていないという人は居るもので、そういう人に対しては、「今までよくそれでやってこれたねぇ」と思うしかありません。
ただ、そういう人にも仕事はしてもらわなければなりませんので、その場合はもう段取りをこちらで用意してしまって、それをこなしてもらう、それしかありません。「なんでコイツのために、ここまでしてやらんといかんのじゃあ」と思う人は、管理職向きではないんでしょう、たぶん。
僕? 僕はもちろん管理職向きではありません(苦笑)。


うーん、というか仕事に限らず、面倒だけれどもしなければならないことって、なるべく楽してやりたいって思いません? だから、要領よくやりましょう、というそれだけのことなんだと思うんですよ。
そのために、周りを観察して、無駄を省いていく。その作業を「めんどくさい」と思っているうちは、少なくとも仕事の上では「使えねー」って思われちゃいますね。


結論。
「空気が読めない人」は、自分のやり方を曲げれない人。
「要領が悪い人」は、周りの動きを見ていない人。
重なる部分は多いけれど、イコールではない、かな。そういうことです。